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(無題)

 投稿者:直耕庵  投稿日:2012年 5月17日(木)17時05分33秒
返信・引用
  今日の茶花は原種のテッセン、二人静、花筏

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Re: 熊谷草

 投稿者:直耕庵  投稿日:2012年 4月22日(日)17時01分23秒
返信・引用
  > No.38[元記事へ]

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熊谷草

 投稿者:直耕庵  投稿日:2012年 4月20日(金)09時11分21秒
返信・引用
  今年もまた庭の熊谷草が開き始めました。初花を黒臘梅と合わせて茶室に生けました。

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もし唐物茶入がなかったら

 投稿者:直耕庵メール  投稿日:2010年 7月 9日(金)06時59分52秒
返信・引用
  茶の湯に於いて、掛物と茶杓が精神的な面からみれば、最も大切なものであることは、間違いないことではあるが、茶の湯の持つ、美術的、歴史的見地から考えるならば、茶入は、茶道の根幹に関わる大きな意味を持っていると考えられる。理由は、利休が大成した茶の湯の出発点では、茶入は、一国一城にも代わる要器でもあり、一個の茶入のために命を落とし、一個の茶入のために、生涯を葬り去った人もあった。時には又、家柄の資格を左右するほどにも重要視された。一個の茶入が歴史を生み、伝統を作り、茶道の点前は、流派の如何を問わず、一個の茶入を基準として工夫創作されてきたのである。茶入は、茶道が今日まで続いた原因の最大のものとも言えるのである。

若し利休さんが、唐物茶入使用の台子点前から唐物茶入を完全に否定し、和物のみの茶の湯に変更することが出来ていたとしたら、おそらく、今日まで茶道としての茶の湯が残っていたかどうか疑問である。唐物茶入がなかったら秘伝の台子点前も四ヶ傳も秘伝として存続することは出来なかったからである。唐物茶入の扱いが、特殊な一定の手順を必要とする定が出来る社会的背景(同朋衆、唐物奉行、信長の茶の湯政道等々)があり、秘伝とするこで宗匠は、専門家として地位を継承して来たのではなかろうか。特に武家では格式を重んじるため、定められた点前の間違いは許されず、簡単には誰でも専門家にはなれなかったと考えられる。それが家元制度の存続の必然性であり、今日まで茶道が生き続けてきた重要な要素なのであろう。若し貴重な唐物がなく、扱いに特殊な配慮をすることがなかったら秘伝とされる点前手続きはく、自由な点て方の平点前のみの茶の湯(侘茶)であつたはずである。

南方録で立花実山は、利休の思いとして「十年ヲ過ギズ、茶ノ本道スタルベシ。スタル時、世間ニテハ却って茶ノ湯繁盛ト思フベキ也・・・・」と述べ、日ならず、廃れるであろと言った「茶の本道」とは何を指すのであろうか、実山は茶の湯の大衆化(侘茶)の対岸に在るもの、即ち格式の在る唐物使用の茶の湯を「茶ノ本道」と考えたのではないか、しかし利休の真の狙いは侘茶であり大衆化であったはずである。茶の湯において唐物は和物に代わり、秘伝の複雑な点前の手続がなくなり、唐物を必要としない侘茶、日常的な茶の湯のみとなることを願った利休の真の狙いを武士の実山は漢物茶道具使用の秘伝点前をなくしたくなかった為、秘伝永続を望む思いと、当時の武士階級の世相を反映して、利休が残した言葉や茶会記、草人木等を編纂、南方録を創作したのではないかと考えられる。

しかし利休の意に反し、武家茶道は唐物を必要とし、秘伝の茶の湯は益々盛んとなった。皮肉ではあるが、町方の茶の湯も武家茶道の隆盛にあやかり、明治維新を迎えたのである。何れにしても秘めることにより、より奥深く、貴重な存在となることは、物事の自然な成り行きである。茶の湯では、その中心に茶入をおき、得難い唐物を特別なものとして、扱いを定め、秘伝として、それも口伝伝授を旨とすることで一層難しいものとした。茶入は茶の湯の第一のものであり、当時は茶の湯の道具と言えば茶入を意味し、名物茶入なくば茶の湯は出来なかったと考えられていた。茶碗についても、唐物として茶入と同じことが言えるかも知れないが、唐物茶碗(天目碗)は唐物茶入の付属品として、貴重品として天目茶碗の扱いは致しますが、茶碗は所詮消耗品であり、扱いの中心ではなかった。唐物茶入あっての茶碗であり、和物茶碗が無数に作られる状況では、その中から優秀な物を厳選して名品とすることは出来ても、それを要にすることは出来なかったし、要を2つにすることには、貴重品としての価値の薄れを防ぐ意味からも得策ではなく、茶入のみに的を絞ったと考えられる。また茶の湯の消耗品的な物は千家十職で作られるが、茶入は一国に値するもので、無闇には作れなかった。それが千家十職に茶入師のいない理由と考えられる。今日では、多くの窯で茶入は焼かれ、中には素晴らしい出来栄えの物も少なくないので、今日ではそれなりに使用してはおりますが、改まった茶会では、伝統に従う意味から、瀬戸、遠州七窯以外の茶入の使用は少ないようである。

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大井戸茶会ご参加、有難う御座いました。

 投稿者:直耕庵メール  投稿日:2010年 6月13日(日)10時41分9秒
返信・引用
  皆様、ご参加有難う御座いました。今年も天候に恵まれて、300人以上のお客さまをお迎して盛大に終了いたしました。来年も又5月1日が大井戸皐月茶会になる予定です。皆様の御来席をお待ちいたしております。

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成田市大井戸皐月茶会のご案内

 投稿者:直耕庵メール  投稿日:2010年 2月20日(土)15時12分50秒
返信・引用
  今年もまた私の社中の担当で米屋本店中庭で5月1日10時から15時頃まで野点ですが、17回目の成田市大井戸皐月茶会が開催されます。入席無料です。是非皆様、成田不動尊お参りの道すがらお立ち寄りください。

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皐月茶会有難うございました。

 投稿者:直耕庵メール  投稿日:2009年 5月 3日(日)09時07分15秒
返信・引用
  5月1日16回目(16年)の成田市大井戸皐月茶会が、好天に恵まれ、約300人のお客様をお迎えして米屋本店の庭で行われ、無事終了いたしました。おいでいただいた多くのお客様及びご縁がありましたお一人お一人様には十分なご挨拶も出来ませんでしたがお許しください。又の機会を楽しみにしています。

下の写真はクリックしますと大きくなります。

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最近感じたこと

 投稿者:直耕庵  投稿日:2008年 5月31日(土)10時55分23秒
返信・引用
  当茶室にも時々海外からの来訪者や稽古にも見えておりますが、先日初めて茶室で薄茶を召し上がったロンドンからのお客様がありました。お茶がとても気に入り、茶の湯をやりたいと言うことで、いろいろ質問を受けました。先ず何年位稽古すればよいですか?月謝はいくら位ですか等々、そこで、先ず一人前になるのには約10年位でしょうか、月謝は地域や先生にもよりますが、8千円前後かなと申し上げますと、いやいや、そんなに年数が掛かるのであれば、とてもとても出来ませんと申します。これは先入観のない無垢の一般の方の声なだろうなと思いました。そこで、いや一人前と言うのは、人様にお教え出来るようになると言うことで、ご自分がお茶を楽しむのであれば1~2年稽古すれば、お茶を頂き、点てて楽しむ事は出来ますと申し上げますと、納得した様で、ロンドンに帰ったら是非やりたいと、ロンドン教室の場所を確認して、喜んで帰って行かれましたが、私は其の時とても大きな教訓をいただきました。茶の湯の本来あるべき姿とは何なのか、最近のお茶離れを憂いてばかりはいられないと痛切に感じました。しかし一方で、益々深くお茶が好きになっていく人のことも考えました。そこで茶の湯の稽古と言う一面だけから少し申し述べて見たいと思います。よく聴く話ですが、何十年もお稽古をしていて、未だ稽古を続けなければならないのでしょうかとか、そんなに次々にやることがあるのでしょうかとか聞かれます。しかし考えて見て下さい。画であれ、ピアノであれ、踊りであれ、お花であれ、これで終わり、これでよいと言うことはありません。茶の湯とて同じです。深く入れば這入るほど奥は深く、汲めども尽きせぬ思いに駆られます。只一つ好きだからこその道だと思います。茶の湯は、特定の人達だけの間で伝承する文化ではなく、一般大衆のなかで花開き、己を癒し楽しませ、喜びを感じあい、人様との交わりの中で磨き培われ、決して孤独な存在ではありません。日本の風土、日本人の感性に合った風習であればこそ、何百年もの間、綿々と日本の伝統文化の一つとして今日在るのだとおもいます。谷川徹三という哲学者は茶の湯の所作を能の舞にたとえて分析しています。お点前は見事に振付けられた舞であり、幽玄な舞であったり、華麗に舞ったり、舞が其の人となりを表現するものならば、お点前もまたその人となりを表すものでありましょう。絵画や音楽と同じように自己表現の手段として茶の湯を考える時、点前は心と振りが溶け合い、只旦なる作法ではなくなります。「茶の本」を著した岡倉天心の言葉をお借りするならば、茶の湯は生活そのものを芸術の域に高めるものであるとも言っています。其れは極端かもしれませんが、或る方の茶席に招かれ、一碗の茶を頂いた時、身ぶるいを感じるほどの優雅さと心の安らぎを感じ、素晴らしい一時を感謝致しました。何時の日か自分もあのようにと、思います。しかしそこに行くまでには一寸やそっとの修行ではないこともまた事実です。だからこそ、稽古は終わりなく続くのでしょうが、一時たち止まるのもよし、又始めるのもよし、その自由さが茶の湯ではないかと思っています。  

茶の湯

 投稿者:直耕庵  投稿日:2008年 5月26日(月)16時24分56秒
返信・引用
  茶の湯をテーマにした小説、映画を検証していますが、それほど多くないような感じがします。宗旦狐、利休、本覚遺文等ふるい時代のものが多く、現代の茶の湯を背景にした映画が是非望まれる。  

「房総風雅史」について

 投稿者:matukaze  投稿日:2007年11月13日(火)13時11分44秒
返信・引用 編集済
  先日、少し時間が出来たので、小倉光夫氏の力作「房総風雅史」を精読させて頂きました。今まで武家茶道については、余り纏まった記述に出合はなかったので、私は自分の調査では、色々な処から寄せ集めて、自分なりの武家茶道の有り様を纏めていましたが、この度「房総風雅史」を読み返し、小倉光夫氏の努力に脱帽です。小倉光夫氏は、千葉市在住で、最近まで大手鉄鋼会社の重鎮の由、専門は工学だそうですが、最近は環境問題にも深く関わっておられるようで、その合間に茶の湯に親しみ、千葉県を中心にした武家茶道及び風雅の研究に15年を掛けて完成した研究成果がこの「房総風雅史」だそうです。驚くべき熱心さと緻密なご努力には感嘆の外ありません。  

以上は、新着順1番目から10番目までの記事です。 1  2  |  《前のページ |  次のページ》 
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