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アルバニア紀行

 投稿者:大屋 峻  投稿日:2005年12月16日(金)00時54分38秒
  アルバニア 紀行(2005年12月11日から15日) 土壌汚染には関係がないので掲示板へ
−世界から忘れられた国アルバニア−
大屋 峻
12月11日10時50分Vienna発Tirana行きオーストリア航空(チロリアン航空の乗務員で運航)に乗り込んだ 。情報が非常に少なく初めて訪問する国アルバニアである。
乗客の多くはバルカン半島にある他の諸国の人より身長が低いようである。167cmの私も目だって背が低いようではない 。アルバニア人の身長は低いが胸が厚く、体重は日本の平均より10kgくらいは重いようである。
飛行時間1時間20分の旅である。オーストリアから離陸し、旅程の前半は上空から地表が見えていたが、着陸20分位前から雲に入り、着陸5分くらい前にやっと雲の下に出て地表が見える状態で窓ガラスに雨粒が当たる。
11月にロンドンに行った際に、世界一の地理関係図書の店Stanford で買った、Bradt社版の“Albania”によると、ティラナ空港着陸直前の景色は非常に良いということなので、カメラを取り出し目を凝らしたが、雨で近景のほか雲以外なにも見えなかった。
着陸3分くらい前、露天掘りの砕石山 と、どうやら川が氾濫しているような風景、綺麗ではあるが小さく区画されている畑と、農家の風景が見えた。農業用水と思われるため池も多い。少し離れた山の中腹から上の方が少し白くなっている。あのあたりでは雪なのであろう。
ティラナ空港・入国
Nene Terezaと名づけられたティラナ国際空港着陸。問題になるといけないので、カメラは取り出さずに空港に空軍の戦闘機などあるかと思って目を凝らすが、格納庫に小さな飛行機があるのみで空軍機 らしきものはない。私を運んできたオーストリア航空の飛行機以外にはイタリアのAlitaliaの旅客機が駐機しているのみである。
車の付いた階段が人に押されて航空機に横付けされ雨の中を飛行機から降りる。バスで移動である。バスには「Vodafone」の広告が大きく書いてある。空港ビルの隣の小さな小屋には大きな「DHL」の看板が掲げてある。コマーシャリズムは完全にここまで来ている。
カナダの援助で造られた新しい空港ビルに入る。空港ビルは平屋建ての小さいものである。マケドニアのSkopje空港のビルが小さかったがそれより一回り小さい。入国審査ブースは8つあるが、2つしか開いておらず、片方がアルバニア人用でもう一方が外国人用である。
100人弱の乗客の入国審査は非常に早い。入国検査官は、パスポートを蛍光の下に置き何かをチェックして、後ろを指差し10ユーロそこで払えといって20秒くらいで終わり。検査官のブースの後ろに小さなテーブルがありその前に座っているおばさんが英語で10ユーロといって手を出す。領収書と引き換えである。この支払いをしたかはパスポートに記入されないので、パスポートには有料ビザで入国したかは記入されていないはずである。
待つ間もなく荷物台に私のスーツケースが回ってきた。それを持って免税のサインのあるところを通って外へ出る。飛行機を降りバスに乗ってから10分くらいで全て終わりである。税関のゲートから出るとすぐに首からカードを付けそれを指差しながらおじさんが英語でタクシーと聞いてくる。Bradtの本に書いてあった通りである。Tirana International Hotelまでいくらと聞くと25ユーロ とこれも事前情報と同じである。
タクシー運転手にスーツケースを託し、トランクに入れるのを確認してタクシーに乗る。運転手の英語は上手である。マケドニア、セルビア、ボスニアヘルツェゴビナの何処の運転手よりも英語は上手い。まず天候を聞くと、この10日間雨が降り続いているそうである。気温は思ったより高く10度くらいはありそうだ。昨日午後4時Vienna到着時の気温は0度であった。
道路
空港から約3〜4km間のは、今まで行った国の何処の空港取り付け道路より悪い。片側2車線くらいの幅はあるが、穴凹だらけである。大きな水溜りを避けながら走る。空港のすぐ傍の道標がティラナまで22kmと表示している。
約3kmの穴凹・のろのろ運転の後、中央分離帯がある片側2斜線の自動車専用道路 へ出た。この道路を10分強走ってティラナの街である。自動車専用道路から離れるとすぐまたでこぼこのろのろである。道は悪い。
ガソリンの値段
道路に面するガソリンスタンドの表示を見ると、premium gasolineの値段が1リットルあたり135 Lek(1ユーロ=122Lek、即ち1Lek=1円強)で1.1ユーロ相当、ジーゼル油が110Lek、1ユーロ弱である。日本より少し高いようである。資料によると、アルバニアは原油を相当量産出していたようである。
Tirana International Hotel
博物館、幾つかの政府機関のビル、モスク、オペラハウスがある市の中央広場に面して、15階建てのTirana International Hotelがある。空港から約30分の行程である。
Hotelのレセプションの女性は全て英語OKである。マケドニアと同様に宿泊期間中はパスポートをレセプションに預ける必要がある 。
レセプションで換金方法を聞くと、後ろにある換金事務所 でやれという。但し日曜日は休みで、明月曜日まで換金は出来ないとの事である。
バルカン半島は地震災害が多いところである。ホテルは15階建て、総研、ヒューザー、木村建設、姉歯という名前が新聞にあふれている国から到着すると、自然と1階の柱の太さに目が行く。どうも日本の15階建ての1階の柱より細く数も少ないようである。柱の間隔の長いところでは20m位ある。勿論柱にどの位の太さの鉄筋が何本入っているかはインシャーラ である。4階(この国では入り口の階が0階なので,日本式では5階)の部屋に旅装を解いた。震度5の地震があれば、多分死者10,000人以上の中の一人となりそうである。これもインシャーラである。
日本でホームページを通してe−mailで直接このホテルの予約しようとしたが、返事はなかった 。アメリカのホテル紹介業者のホームページを通じて初めて予約が出来た。朝食付4泊で税金当込みで約530ドル(130ドル/日)である。
食事
到着後すぐに現地通貨の手持ちがないのでホテルのレストランに飛び込み、グリークサラダと海鮮リゾットを注文し食べた。リゾットは少し塩辛いが結構美味しい。ミネラルウオーター込みで1300Lekである。現地通貨の持ち合わせがないので部屋へチャージである。チップを払おうとチェックの合計に200Lek加えTotal: 1500 Lekと書いたらウエーターがチップを書くなと英語ではっきりと言う。今持ち合わせがないから現金でチップを払えないと言うと、そのままでよろしいとの事でチップなしでレストランを出た。これ以降食事などの際には10%強のチップを上乗せして支払った。
結局2日目の昼飯もHotelのレストランで食べる。豚肉の焼いたものである。回教国と聞いていたので心配しながら注文したが、やはり美味しい。
このホテルのバイキング式の朝食に、ハムやソーセージの豚を基にしたものが沢山並んでいる。モスレムの人が支配的なボスニアヘルツェゴビナのIntercontinental Hotelの朝食では、豚を基にした食べ物は端のほうにひっそり置かれ、大きな文字でThey are Pork Product.と書いてあり、不味かったのを思い出した。
昼飯を食べようと町を歩き回るが、Bar・Caféと書いたところは多いがRestaurantは少ない。ハンバーグ、トルコのドンネルスケバブの店はある。
2日目の夜は、Bradtの本で美味しいがこの国で一番高いと書いてあるのを頼りに、博物館の裏側にある「Piazza 」へ行った。入り口に飾り棚があり、氷の山に20匹くらいの魚が置いてある。私に判るのは鰈と蛸くらいである。さらに奥にはサラダバーがある。テーブル、ウエーター共に一流を思わせる。メニューには、スープ、パスタ、サラダ、リゾット、肉料理、魚料理と一通りそろっている。私は海鮮ミックスフライを注文した。烏賊と名前の知らない鯵のような魚などのフライで、少し塩味が付いている。付け合せに、カリフラワー・人参・など野菜のゆでたものが付いている。パンも美味しい。パンにはオリーブ油にビネガーの付いたものが皿に載って付いてくる。ミネラルウオーターとデザートに美味しい大きなティラミスを注文して1500Lekであった。
3日目の夕食は、EBRDのコンサルタントのイタリア人(56歳)とホテル近くの「Manhattan」と言うレストランへ行った。スパゲティー、リゾット、ピザがあるイタリア料理店である。海鮮スパゲティーとオレンジジュースで600Lekであった。スパゲティーは美味しかった。イタリア人氏によると、少し改善の余地はあるが充分イタリア料理であるとの事であった。
4日目の昼はElbasanへの途中の峠のレストランで羊のローストを食べた。羊独特の臭いは少なく美味しかった。コーヒーを頼んだらエスプレッソだった
英語・外国語
ここまでの経験では、タクシーの項でも書いたが、この国の人々は出稼ぎ経済のおかげか、今まで行ったバルカン半島にある旧ユーゴスラビアのどの国より英語力は高い。
通訳として雇用した、ティラナ大学の英語の先生Viola嬢によると、今この国でホワイトカラーとして雇用されようとすると英語は必須だそうである。第2次大戦の前にイタリアの植民地となったこと、一番近いところが80kmしか離れていないこと、20年くらい前からイタリアのテレビが見られたのと、出稼ぎでイタリアへ行く人が多いのでイタリア語が広く使われている。他にドイツ語を話す人がいる。一時期関係あった中国語やロシア語も少し残っているそうである。
Elbasanにある冶金コンビナートは30年位前中国の援助で出来たものである。コンビナートの所長と会った。50台後半と思われる所長は英語が話せないので通訳を使いながらの話合いだった。話の途中で、日本語はだめだが中国語ならわかると言い出し、「日本人」「中國」と手書きし、中国の西安で4年間過ごしたとの事である。別れ際には「再会(チャイチェン)」といって分かれた。
自動車
10年位前までアルバニアでは個人が自家用車をもてなかったそうで、ティラナの町の中を走る自動車は非常に少なかったそうである。今では、街の中の小さな道まで自動車があふれている。道路工事が多いし雨が降っているので道の横断はなかなか難しい。信号機は相当数ある。
殆どのタクシーはメルセデスベンツのジーゼル車である。西ヨーロッパで使い古したメルセデスの最後の奉公場所・墓場・廃棄物処分場のように見える。
近年まで自家用車がなかったためか、旧ユーゴや旧ソ連の国のようにFiatの小さい車をモデルにしたLadaやYugoのような小さな車で殆ど壊れかけやっと息をしているような車は見ない。乗用車の約半数はメルセデスである。ドイツにおけるメルセデスの乗用車市場占有率よりアルバニアでのメルセデスの市場占有率のほうが高いと思う。他にBMWやVolkswagenなどドイツ車が主力である。韓国のKIA・Hyundaiの看板もあり、それぞれ数台見た。今のところ日本製乗用車には気付いていない。日本製の自動車としてはトヨタのランドクルーザー(外交官ナンバー)と三菱パジェロを数台見た。Mazdaの看板を見つけたが、車には気が付かなかった。
人の話によると、この国の道が悪いので、イタリア系の軽い車ではなく、ドイツ系のがっしりした車が好まれているとの事である。
個人が自動車を持てるようになってから10年弱なので、殆どの自動車の運転手の運転経験年数も10年以下である。運転マナーの話をするまで自動車の運転の歴史を持った人は居ないようで、割り込みなどマナー以前の話である。
Mother Teresa
土産店には、Mother Teresaの肖像の入ったものが多い。世界的に名前のあるアルバニア人はどうやら彼女だけのようである。
ティラナ国際空港にもMother Teresaの名前が付いている。Mother Teresaの生まれた場所は正確にはマケドニアで、国籍は終生マケドニアだったそうである。マケドニアの首都Skopjeにも大きな銅像があり、マケドニアでも英雄である。人種的にはアルバニア人であることはマケドニア人も認めている。彼女が有名になったのはカトリックの修道女としてであって、アルバニアの主な宗教である回教徒でも、マケドニアの主な宗教であるオーソドックスでもないことは非常に興味がある。
電気
電気は公称220vである。電圧の変化が激しいとの事を聞いていたので、到着後数回ホテルの部屋で電圧を計測したが202vから215vの間であった。プラグの形は、オーストリア、旧ユーゴ諸国と同じ2本の丸棒である。
停電が多いとの事であったが、ホテル滞在中、ホテルの電気が消えて自家発電に切り替わったのは気付かなかった。しかし、EBRDの事務所で聞くと、省庁街にあるEBRDの事務所の入ったビル は、停電の時すぐに自家発電に替わるので、エレベーターに取り残される時間が少ない事が、ビルを借りた大きな理由だそうである。
14日ElbasanからDurresへ行ったとき、Durres周辺は停電で真っ暗だった。
道路の穴凹
今年の9月に政府が、社会党から民主党に変わった。ティラナ市の市長は社会党なので、政府が工事中の道路関係の予算を止めてしまったので、道路工事が中断中だそうである。
社会党も民主党も政治家の多くは旧共産党の人々であるが、どちらの党も旧共産党との繋がりを表面に出さないようにしているとの事である。共産党政権時代には亡命していた旧王族の人々は帰国しており、この王家の復興を言う人もいるそうである。
人々・宗教
ウイーンからの飛行機のところでも書いたが、アルメニア人はスラブ系の人々に比べ一般に身長が低く、ラテン系の色が濃い。
一番気になる若い女性であるが、今が冬であることを差し引いてもスラブ系に比べ美人が少ない。はっと目を見張るような女性にお目にかかっていないのが残念である。
通訳のViola(30歳の女性、大学で英語を教えている)の両親はモスレムであるが、豚を食べるのは気にならず、宗教はと聞かれれば回教徒と答えるとの事である。多くの信仰心の厚い回教徒の女性はスカーフで髪の毛を隠しているが、この国に来てスカーフを巻いた女性は数人しか見ていない。男性の海峡と独特の帽子姿も見ない。
ティラナの中央広場のモスクの前に、クリスマスの電飾が付いている。Durresでもモスク前の通りがクリスマスの電飾できらきら輝いていた。このホテルでも、ロビーに大きな樅の木に電飾や綿の雪、サンタクロースが飾られた。
聞くところによると、両親が回教徒でその子供がカトリックという人が結構多いようである。共産国の間宗教活動が禁じられており、1990年代初頭宗教が開放されたとき、カトリックにミッショナリーが教育に力を入れたことによるのだそうである。(イタリアの影響か)
Violaの話では、アルバニアには相当数のギリシャ人やトルコ人なども住んでいる。彼女油の話からギリシャ人対する嫌悪が感じられ、トルコ人に対しては親近が見られた 。
建築ラッシュ・アパート
アルバニアにはまだ証券取引所が無いそうである。そこで、海外で働いたり国内稼いだりしで金をためるとその金の簡単な投資先が、アパート建設だそうである。ホテルの前にも12階建てのビルが建築中である。町の中で建設中のビルが沢山ある。ホテルの項で書いたように、全体に柱が細くて少ないように感じる。
100m2のアパートの値段は7〜8万ユーロだそうである。ヒューザーも姉歯も総研も値段では勝負にならないようであるが、アルバニアの人にとってはなかなか買えないものである。
街中の殺風景なアパートの多くが、赤・青・黄色などのパッチ模様に彩られているものが多い。余り見たことのない風景である。聞くところによると、ティラナ市長が芸術家で、金をかけずに待ちの風景に彩を与えるために提案し実施したものだそうである。
街・雑感
到着時は雨模様であったため13時前に既に暗かったが、天気の良い日には16時半頃には暗くなる。朝は7時過ぎに夜が明ける。
滞在3日目の13日朝から青空が出た。日が照ると相当暖かい。12日から昼間は、背広だけで外へ出ても寒くなかったが、13日の昼間はシャツ1枚でも何とかなりそうである。当地の人々は厚手のコートを着て歩いている。
Tirana International HotelのあるSkander Begn Squareから南へ官庁街を通る片側4車線の大通り、Bvd. Dessmoretが500m続きその南の端にMother Teresa Squareがある。Squareの横に黒色の新しい建物Sheraton Hotelがある。
Bvd. Dessmoretの西側300mから500m位の間が地域が、New Tiranaと呼ばれる若者や金持ちが時間をつぶす地域である。高価な衣類店・化粧品店、靴屋や、道に面するCaféやレストランが集まっている。PizzaやPasta、Barなどの店が多い。
Skander Begn Squareから北へ同様に大通り、Bvd. Zogu I Pareが約500m続き北端には鉄道のティラナ駅がある。この2つの大通りがアルバニアの中心である。この道路に面しティラナ大学の色々な学部や、美術館・博物館・省庁・大統領府・首相府・アルバニア銀行など国の中央機関が全てあるようである。
毎日の生活のためにミネラルウオーターを買おうと探したが、到着48時間たつがいまだ見つけていない。露天商やKioskにも見つからない。通訳のViolaに聞いたら、何処でもあることがわかった。Kioskの隅っこに隠れたようにミネラルウオーターが置いてあった。Kioskでは500ccのミネラルウオーターは50Lekである。
到着時からお土産店を何回か訪問しアルバニアの産物を買おうとしたが、食指の動くものはない。何時ものようにワインを2本持って帰ることにした。
チェックイン・出国
ホテルから空港までのタクシー料金も25ユーロであった。市内を2箇所回ってから空港へ来たので30ユーロ支払った。タクシーは領収書を発行してくれる。
空港の出発口の前には車が入れず、到着口の手前に止まる。空港ビルは小さいので歩いてもほんの少しである。新しい空港にしては設計が悪い。
オーストリア航空ではチェックインカウンターへ行く前にパスポートと航空券を調べる。帰国日は快晴なので離陸直後の美しいといわれる景色を見ようと、窓側の席を取る。
チェックインカウンターの傍に10便くらいの出発便がスクリーンに映し出されている。目的地の1/3から半分がイタリアの都市名である。ミラノ、ピサ、バルセロナなどがあった。他はブカレスト、イスタンブール、ウイーン等である。
Immigrationの検査官のところへ行く前に、おばさんが座っていて出国税10ユーロを取られる。金を払う以外出国検査もきわめて簡単である。
チェックインする荷物の事前検査はない。
手荷物検査は相当厳重で、ラップトップコンピュータは完全に外に出して検査する。人間の通るゲートの金属探知機は時計やベルトのバックルにも反応するように感度が上げてある。
空港で換金が出来ないかもしれないと思い、ホテルの傍で、アルバニア通貨Lekをユーロに換金してきた。正解である。見回したところチェックインカウンター周辺にも、Immigration を通ってからも、銀行や両替屋の看板は見当たらない。
ポケットに残っていた300Lekを、immigrationを通った中にある売店のお嬢さんに見せて買えるものは何かと聞いたら、デーニッシュペーストリーとカプチーノでそれぞれ150Lekずつ、300 Lekである。アルミ缶入りコカコーラは200Lekで残念ながら買えなかった。
待合室には免税店があるが、売っている品物は殆ど外国製品である。
 


セルビア紀行拝読

 投稿者:大木 久光  投稿日:2005年 9月26日(月)16時13分10秒
  大屋様、
Skopjeで会う前にこんなに楽しい(ちょっと波乱万丈?の)旅をされていたとは知りませんでした。
お会いした時には、全く何も無かったかのようなポーカーフェイスでさすが旅行の大先輩大屋さんだと今更ながら感心しています。
旅を楽しむコツを伝授して頂ければ幸いです。
続いて「マケドニア紀行」も出るのでしょうね!
期待しています。
大木 久光
大木 久光
 
お得なプロバイダーとくとくBB

時差対策

 投稿者:峯岸俊行  投稿日:2005年 9月23日(金)19時23分40秒
  大屋様、投稿いただきありがとうございます。
私は欧州線に乗る時には目一杯起きていて、夕方に着いた後、食事もせずにバタンキュー
という方法で時差ボケを解消していますが、それでも翌日は早朝の3時頃に目がさめて
しまいます。うとうと眠っていても、翌日5時まで寝ていられるのは羨ましい限りです。
さすが達人ですね!コツがあったら、教えて下さい!
 

セルビア紀行(2005年6月末)

 投稿者:大屋 峻  投稿日:2005年 9月23日(金)08時54分39秒
  セルビアへの旅
大屋 峻
初めての西バルカンへの旅である。6月25日午前10時30分成田発オーストリア航空ウイーン行きに乗った。割引のエコノミー券なので、エアバス機の一番後ろのキャビンの席である。満員でも便所へ立つのが億劫にならないように、何時もの通り通路側の席を取ったのであるが、幸いにも私の隣の窓側の席は空いていた。周囲には朝日新聞の社旗をかたどったバッジを付けた60から70歳台の男女の団体客が多い。幸いにも大学生などの夏休みはまだ始まっておらず、若者の団体客風はいない。60歳を過ぎるとおばさんたちも、ひとしきり喋り捲ると寄る年波に勝てずくたびれて眠るのである。
ウイーンまで12時間弱の空の旅である。飛び立って1時間位経過したときに食事である。鶏肉のクリーム煮か、魚の和食が選べる。私は魚の和食を選んだ。美味くない。自宅で朝6時前に起き、ジュース1杯だけでバスに乗って、首都高5号線の事故渋滞に巻き込まれいらいらしながら成田まで到着したので、腹が減っていた。不味くても空きっ腹には何でも入る。すきっ腹で不味い。
食べると1から2時間うとうと昼寝、起きだして、これから1週間の仕事の準備をしようとコンピュータを鞄から取り出し、スイッチを入れるがうんともすんとも言わない。ラップトップを入れていた鞄には他に書類など入っており重くて、少々がたがたした歩道をごろごろ引っ張ってきた。ショックで壊れたのか、ラップトップのどこかに安全のための別のスイッチが付いているのか一生懸命探すが見つからない。ラップトップの説明書は家に置いたままである。しょうがないので、家にいる娘に「説明書を探してもらうよう、もし判らなければNECサービスセンターへ電話し尋ねるよう」Faxの原稿を書く。ホテルに入ってチェックをし、動かなければFaxを送ることとする。
家でこのラップトップを使うときは何時も電源線が繋がったままである。昨夜コンピュータをシャットダウンして、袋に入れ鞄の中に入れた。おかしな作業はしていない。安全のため、講演するためのPowerPointファイルはスティックメモリーにとってあるのでと自分言い聞かせる。いらいらどきどきである。
オーストリア航空機の機内を見回す、われわれの最後尾キャビンの乗客は9割くらい日本人のようである。便所に立つとき見たこのキャビンの一番前に座っている欧州系の顔をした中年の男性は、読売新聞を横に置き週刊新潮を読んでいる。客室乗務員も数人は日本人である。
ラップトップが動かないので、たくさん印刷してきた資料類に目を通す。資料を読み出すとすぐ眠くなる。うとうとしているとスナックである欧州系の女性客質乗務員が英語で、”sandwich、cup-noodle or o……?”と聞いてくる聞き取れない。聞き返すと”onigiri”である。Sandwichとコーヒーを頼んで食べ終わると、書類に目をやり始める。またすぐうとうとである。老眼が進んで読みにくくなったことに責任を転嫁し、うとうとに身を任せる。
11時間30分後にウイーン到着である。当地の時刻午後3時20分、日本との時差は7時間である。ウイーン国際空港ではわれわれの東京からの飛行機が着き、午後5時発予定の関西空港行きがあり、飛行場のターミナルにいる乗客の3〜4割は日本人である。小さなターミナルである。成田、羽田、関西空港を知っているものにとっては、あの有名なウイーンの空港かと思ってしまうくらい小さい。4時間くらいの待ち時間でセルビアの首都ベオグラード<英語の表記はBelgrade発音はベルグレードに近い)がセルビアではBeograd(ベオグラードに近い)と呼ぶらしい>行きが出るので、空港ターミナル内で時間をすごす。サンドイッチなどもある小さなコーヒーショップとビールやアルコールが主なちょっとした食事も出るバーと呼ぶようなものの2つしか食べ物屋がない。みやげ物店も小さなものが2つしかない。本屋がありそこで英国Bradt社の”Bradt(文字通りブラットである) Travel Guide-Macedonia”を購入する。24Euro(3500円)である。
オーストリア航空と共同運航しているセルビアの航空会社のベオグラード行きの飛行機は双発のプロペラ機でYSのような片側2席の1列4席で20列くらいの小さな飛行機である。明らかに日本人のような30から40歳台の男女、および同じく40歳前後くらいの男子1人と私も入れると4人日本人が乗っていた。私の横には30歳くらいのセルビア人女性(キリル文字のセルビア語の新聞を客室乗務員から受け取り読んでいたのでセルビア人)が座った。飛行機が飛び立ったのは午後7時30分成田を飛び立ってから既に16時間後で日本時間では午前2時30分である。日本―ウイーン間でよく寝たからかあまり眠くない。横の女性に、ベオグラード空港からHotel Majestic(知り合いから紹介されたホテルは満室で、インターネットで探したもので1泊85ユーロ)へタクシーの料金は幾らか、タクシーの値段はメーターなのか交渉次第かと聞く。交渉次第で乗る前に決めること、彼女も長い間セルビアから離れているので良く分からないが、彼女ならなら15ユーロくらいを頭に入れ交渉するとの答えを得る。ちなみにベオグラードとは白い(ベオ)町(グラード)だそうである。飛行時間1時間10分で到着。飛行機で横に座った女性はセルビア人で、現在ウイーンで働いていると言って名刺をくれた。最初のセルビア人の友人である。そうだ彼女は大学を出てベオグラードにあった自動車製造会社に就職し、何年も立たないうちに1991年頃会社が解散色々苦労したようだ。彼女の年は35歳を越えているのである。
ベオグラード空港は小さい。入国手続きの書類は見付からないので、パスポートだけ持って入国管理官の前に進み出ると、私のパスポートを見ながら番号か何かをコンピュータに入れ、ほんの10数秒くらいで、適当なところにスタンプを押してOKである。荷物を受け取り、歩いていくと、税関職員のようなおばさんが出口へ向かって指差すのでそちらへ歩いていった。10人位の乗客の到着を待っている人を掻き分けると、タクシーの客引きのおじさんが来て”Taxi?”と聞く。勿論イエスで”How much to Hotel Majestic?”先方はちょっと考えて”25Euro”。外国人割り増しで約1,5倍しょうがないでしょう。そろそろ眠くなったのでタクシーに乗って、先ほどの飛行機の中の女性もタクシーの客引きも知っていたかの有名なHotel Majesticへと向かった。(後に訪問した会社の人に聞いたら、ベオグラードに住む人は空港から市の中心部までのTaxi代は10Euro払えばすでに払い過ぎだと思うと言っていた)
高速道路を走って街中に入ったTaxiは、繁華街の街頭ビヤーガーデンの前にとまって、ここまでしか行けない。Hotel Majesticはそこだと指差す。ありました100人くらいテントの下でビールを飲んでいる人たちの向こうの壁にHotel Majesticのサインがありました。やっとたどり着いたのは現地時間午後9時過ぎ(日本時間の26日午前2時過ぎ)です。
飛行場で、飛行機が着地してから多分40分くらいでホテルに入れたのではないかと思います。入国手続き、荷物受け取り、税関、Taxiと非常に滑らかです。
ホテルにも予約はきちっと入っており、警察?へ外国人の登録をするためにパスポートをチェックインのカウンターに置くとすぐ部屋へ入れました。食堂へ行ってスープを食べて、先ほどチェックインの際受付に置いておいたパスポートを取り返し、ベッドへと向かいました。航空機の中で見た日本人男女は同じホテルへチェックインし、食堂で他の日本人2名と日本語を話す欧州人のおばさんと5名で食事をしていました。夫婦ではなく仕事仲間のようです。

6月26日(日曜日)昨夜は10時30分に就寝、5時前に起床した。
6時から始まる朝食をとりに食堂へ降りた。朝食は色々なパン(ゴマが付いたパンのゴマがおいしい)と、ジュース(オレンジジュースかブルーベリージュース)コーヒーか紅茶、卵料理である。卵料理はオムレツを頼みオムレツにはチーズ、マッシュルーム、ハムなど全て入れてもらった。日本のビジネスホテルで朝出る物の3倍くらいある大きなオムレツであった。ウエイターは一応英語を話す。先ほどのBlue berryが聞き取れず3回聞きなおしましたが。
40Euro をこの国の通貨3,286Dinarと両替。両替はホテルのreceptionの横にある両替機で行った。説明がSerbia語でしか書いてないため、横にお姉さんが付きっ切りで教えてくれた。お姉さんが直接両替したほうがよっぽど早そうである。ここの両替機は「こんにちは」とか「ありがとうございました」とか日本のこのような機会のように話さないのが好きである。
ホテルでどこへ行こうかといったら、歩いていける森へ行け。そこには戦争博物館や動物園があるとの事でKalemegdan forestと言うところへ歩いていった。この国最大・たぶん最高級の商店街で高級店が並んでいる。道の真ん中にはテント張りのカフェーがある。途中の本屋で、Bradt社のTravel guide Serbiaを1500Dinar (20Euro弱)で購入。
ホテルからは全て歩行者専用の道を通り、公園の入り口で道路と路面電車の道を横切った。信号はあったが、日曜日のためかそれが普通なのかあまり交通量は無く、信号無視で横切った。公園は広く、木が茂り、朝10時には相当多くの人が散歩していた。
これは絶好のジョギングコースである。ホテルにとって帰して、ランニングの服装に着替え、靴も履き替えて走った。出来るだけ長く距離が出るように曲がりくねりしながら1周20分強でジョギングしたので多分3.5kmくらいである。2周して引き上げた。この森の中には動物園やダニューブ川に面して城壁跡、戦争博物館などがある。ダニューブ川には、たぶん観光用客船と思しき船が浮かんでいた(後で分かったのですがこれはほとんどがレストランでした)。漣は見えていたのであろう。「ドナウ川の漣」である。
明日会合する会社の社長と、短い時間会って、明日10時にこのホテルのロビーで会う約束をした。
ホテルから歩いて1分のところに、国立博物館、国立劇場があり、2〜3分のところに国会議事堂がある。本当に町の真ん中らしい。国会議事堂の前では、多くの子供(であって小人ではない)がたくさん集まりバスケットをしている。トラックが止まり音楽を流し多くの人が集まっている。高校生くらいまでのチームのバスケット教室かキャンペーンであろう。大人も2m近いもしくは以上の人が何人かいる。子供も同じく2mがいる。NBAを夢見ているのであろう。このあたりはバスケットボールの選手、サッカー選手(有名な元名古屋グランパスにいたストイコビッチはセルビア人)、K1の選手の産地である。
ホテルのTVではCNN, BBC, EUROSPORT, 幾つかの地元のTV局の放送が写る。
今のところ瞬間停電を含め一度も経験していない。ホテルの部屋にも停電の備えの懐中電灯や蝋燭は備えてない。
便所の水洗は、蛇口をひねって水を出すもので、水圧・水量ともに十分で3秒くらい流せば朝私の出したものは簡単に下水管へと消えて入った。
この国の普通の電気は電圧が240V である。周波数はまだ分かっていない。差込の形は丸い足2本のもので、日本から来た場合は特別なコンバーターが必要である。
昼の3時気温は33度である。部屋にエアコンはないが、そんなに暑くは感じない。
昨日飛行機内でパニックになったラップトップの故障は、故障ではなく電池が干上がってしまっただけである。先ほどから約1時間電源をはずして昨夜の充電を利用しコンピュータを使っているが、電源はまだ2.5時間残っているとの事である。
昼食はこの国の銀座通りにあるテントの下で食べた。メニューは全てセルビア語(セルビア語であるという確証はないが、日本語、英語、ドイツ語、スペイン語など私の知る言語でないことは確かである)であるが、ウエイターは英語で、これはピザで、何をトッピングにするかである、こちらはパンケーキで、チーズやハムを入れるとの事であった。パンケーキにあるもの全て入れたものと、250ccのコカコーラ、500ccの水を注文した。合計300 Dinar強であった。レストランの食事には全てのものに括弧の中にグラム数が書いてあった。カロリーが書いてあるメニューは見たことはあるが全てに重さが書いてあるのははじめてである。日本では大盛りと書いてあるだけよりは分かりやすいかもしれない。ちなみに、ピザは850gと書いてあって大きいかと言ったらMedium size普通は2〜3人で食べると言われ敬遠した。
250 ccのコカコーラはホテルの部屋の冷蔵庫で100Dinar、昼食のレストランで同じく100Dinar、街角の売店では500ccのコカコーラが55Dinarである。
若いお嬢さんたちのことを書いていない。美人である。大柄に人が多い。胸は大きく、肩が大きく開いて丈の短い体にぴったりした上のシャツと、下は臍下10cmくらいまでしかない股上の短い流行のパンツが多い。後ろから見るとパンツの下の下着の形が読み取れるものが多い。中には年配の人もこれを真似ているが、これは頂けない。シャツとズボンの間に、ぴっちりしたズボンをはくときに強引に押し出した肌色の浮き袋状のもの(脂肪が多いだろうから機能的には浮き袋と同じ役目をしてくれるだろう)が横にはみ出しちょっといただけません。シルエットではまさに浮き袋を腹に巻きつけた状態である。
今午後3時半である。昨日のウイーン着陸の時刻と同じ日本時間では午後10時半である。
あまり遊んでいてはいけない。これから明日のインタビュー用の準備である。
夕食には、トマトとシャシリク(シシカバブである)を、デザートにスイカを注文した。シャシリクは美味しかった。肉と肉の間に玉葱と小さな牛肉の脂身が挟んである。コレステロールのもとかもしれないがこの脂身がちょうど良くとてもおいしい。スイカは三日月形の相当大きいのが大きな皿に乗ってごろんと出てきた。これも美味しい。満足である。
明日からは本格的な仕事である。
27日は朝から鉱山会社の本社で社長と話しをし、午後、この国で唯一私有化された鉛・亜鉛・銅鉱山Rudnikを訪問した。Beogradから100km強あるが1時間ちょっとで着いた。
見学の後、空港まで送ってもらうときに、時間があるなら少しは観光しろとの事でBeogradの市街地へ入った。案内してくれたのは、NATOが空爆した、元警察本部、元国防省跡など全く修理されていない爆撃の痕(この時が当てはまると思う)である。昼食のときに、セルビア料理はと聞くと、オットーマントルコの影響の料理が多いとの事で、こちらから、トルコ風と言うのは禁句ではないのかと聞いても、平気・平気との事であった。しかし後の観光でNATOの空爆に対してはいまだセルビア人の心の傷跡が大きいことが判った。
Beogradの空港側の郊外では新しい建築が急ピッチで進み、町の復興と言うか景気のよさが垣間見えるが、町の真ん中官庁街に爆撃で崩れたままの大きなビルディングがあるのは、残っていると言うより、残していると言うほうが正しいのであろう。
イラク人のアメリカ(日本も仲間であろう)に対する気持ちはこの何百倍かもしれない。
午後9時30分発マケドニアの首都Skopje行きの飛行機でSkopjeへ飛び立つ。
ポケットやスーツケースを探しても名刺入れが出てこない。多分乗せてもらった自動車の中に落としたのであろう。実害は2000円くらい残ったパスネットと2000円くらい残ったSuicaである。(後ほど、あんなにしてくれて鉱山会社の人から財布があったとの返事を戴いた。ありがとう)
 
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深くて暗い ローエンドロー

 投稿者:土壌汚染技術士  投稿日:2005年 9月16日(金)21時56分26秒
  コンサルタントである同和鉱業社グループに環境調査業務を依頼する時点で、当社より過去の全ての調査報告書を提出することになっておりましたが、今般、第3次調査報告書につきましてこれまで開示していなかったことが判明しました。
 OAP土壌地下水汚染問題の解決に向けて、これまで内外関係者による調査・検討がなされてきたにも拘わらず、汚染構造解明に係わる未公表データの存在が明らかになったことは誠に申し訳なく、またレジデンスの皆様にご迷惑をおかけし、技術評価検討会委員の方々及びコンサルタントである同和鉱業社グループに無用の混乱を与えたことに対しまして心より深くお詫び申し上げます。

地下55m鉛38倍  地下20m258倍
http://www.eesol.co.jp/release/pdf/20050915_OAP_attach_papers.pdf

http://www.mmc.co.jp/japanese/environment/oap/oap20050916.html
http://yonokasa.oor.jp/

http://yonokasa.oor.jp/

 

脱税情報募集

 投稿者:OAPの裏金を考える会  投稿日:2005年 9月 8日(木)06時29分7秒
  脱税情報募集  投稿者: 裏金を考える会  投稿日: 9月 8日(木)06時27分47秒
国税庁メール
http://www.nta.go.jp/mail.htm

大阪国税局 メール
http://www.osaka.nta.go.jp/opinion/form.html

新東京国税局メール
http://www.tokyo.nta.go.jp/mail/mail.html

http://yonokasa.oor.jp/index-ti.html

 
ケータイで撮った動画を掲示板に投稿

開設しましたのでよろしくお願いします

 投稿者:OAPの土壌地下水を考える会  投稿日:2005年 9月 4日(日)08時30分12秒
  OAPの土壌地下水を考える会掲示板ができましたのでお知らせします。
http://bbs1.nazca.co.jp/4/oaposen/index.html

http://yonokasa.oor.jp/index-ti.html

 

第2回OAP土壌地下水汚染の対策に係る技術評価検討会

 投稿者:汚染技術士  投稿日:2005年 9月 1日(木)18時23分32秒
  OAP土壌地下水汚染の対策に係る 第2回技術評価検討会開催のお知らせ去る平成17年7月30日の第1回検討会に引き続きまして、第2回検討会を以下の要領で開催致しますのでお知らせいたします。傍聴をご希望の方は一般傍聴室を準備させていただきましたのでお出かけください。

会議名
第2回OAP土壌地下水汚染の対策に係る技術評価検討会
開催日時
平成17年9月4日(日) 13:30〜16:00(予定)
※受付開場は開始30分前から開始いたします。
場所
1) 検討会会場−OAPタワー24階 貸会議室D室
2) 一般傍聴室−OAPタワー24階 貸会議室AおよびB室
(住所:大阪市北区天満橋1-8-30 OAPタワー)
議事内容(予定)
調査結果のまとめ
対策計画のコンセプト
追加調査計画と進捗
個別汚染対策
お問い合わせ先
検討会運営事務局 イー・アンド・イー ソリューションズ(株)
能智、小林(TEL:03-3734-2125)
http://www.eesol.co.jp/release/20050830_OAP_2nd_detail.html

http://www.eesol.co.jp/

 
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9月4日oapで会おう

 投稿者:土壌汚染電脳寺  投稿日:2005年 8月25日(木)22時41分5秒
  第2回OAP土壌地下水汚染の対策に係る技術評価検討会の開催去る平成15年7月30日の第1回検討会に引き続きまして、第2回検討会を平成17年9月4日(日)にOAPオフィス棟で開催する予定です。

詳細は追って本ホームページ上でお知らせ致します。 http://www.eesol.co.jp/release/20050824_OAP_2nd.html

案内係りがいますのでご安心下さい
http://yonokasa.oor.jp/

http://yonokasa.oor.jp/index-ti.html

 

土壌汚染データーベース

 投稿者:土壌汚染電脳寺  投稿日:2005年 8月20日(土)17時46分41秒
  失礼します
土壌汚染は正しい理解と適切な対応が必要と考えます。
情報を下記に集めましたのでお知らせさせていただきます。
よろしくお願いします。
http://yonokasa.oor.jp/index-ti.html

http://yonokasa.oor.jp/index-ti.html

 
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