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食い物 執着

 投稿者:如意牛  投稿日:2013年 8月 6日(火)11時07分59秒
返信・引用
  玄米粉 豆乳(自然酵母で作った豆乳ヨーグルト) 黒糖 自然塩
などの材料で、マクロビの、ふわふわのシフォンケーキ? を作ってみようと、十回位やったのですが うまく出来ません。ういろうみたいなものが出来たり、せいぜいパンみたいなものが出来る程度です。宿坊のお精進にもあるでしょうか。動物性の由来のものを使いません。
 
 

迷惑投稿にご注意を!

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2010年 6月28日(月)19時46分56秒
返信・引用
  たまに不審な迷惑投稿がなされております。

行き届きませぬ管理人で申し訳ございませんが、その際にはスルーして下さい。

決して怪しげなリンク先をたどってはなりませんよ。

http://blog.goo.ne.jp/ryu-ren_bou/

 

突仏供の道具

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2010年 6月 4日(金)11時03分25秒
返信・引用
  これっす。
結局、リムーバブルディスクはおシャカ・・・・・。

http://blog.goo.ne.jp/ryu-ren_bou/

 

Re: 仏様への捧げものについて

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2010年 6月 1日(火)17時01分35秒
返信・引用
  > No.74[元記事へ]

Kさんへのお返事です。

突仏供を作る道具です。
名称、調べますので、宿題ということで・・・・・とほほ。

あ、あれ?
アップしようとしたら、ディスクを認識してくれないぞ?
何故だ?
・・・・・ということで、こちらも宿題。
ごめんなさいです。


> > だから、高野山は、基本「原始的」・・・・・・。
> > まあ、ものは言いようですが、「ダイナミック」か・・・・・それ、イイ!
> > ドン、ドーン!って二箇所切って置くだけだもんね。
>
> 時代的に後の鎌倉仏教よりシンプルなのはそれも道理ですよね。
> 芸術と同じで時と共に洗練の方向に向かうものでしょうし。
> しかし平安の雅もどこ吹く風のプリミティブさはまこと「男らしい」ですね。

東密には諸流ありますが、「平安の雅」は高野山にはないのですよ。
京都からすれば「鄙」ですから。
衣なんかもすっごいシンプル。
御公家さんが多い流では、ズルズル引きずって歩くような長衣とかありますが、
高野山の衣には、ヒダがちょこっとあるのみです。

おっしゃる通り、「男前」ですね!

http://blog.goo.ne.jp/ryu-ren_bou/

 

Re: 仏様への捧げものについて

 投稿者:K  投稿日:2010年 6月 1日(火)02時23分19秒
返信・引用
  > No.73[元記事へ]

隆蓮房さま

重ねてのご回答忝く存じます。
私などは卑下謙遜なし自己韜晦なし掛け値無しのドシロウトですから、
シェア出来るものなぞ逆さに振っても鼻血も出ませんです(_ _;)

> だから、高野山は、基本「原始的」・・・・・・。
> まあ、ものは言いようですが、「ダイナミック」か・・・・・それ、イイ!
> ドン、ドーン!って二箇所切って置くだけだもんね。

時代的に後の鎌倉仏教よりシンプルなのはそれも道理ですよね。
芸術と同じで時と共に洗練の方向に向かうものでしょうし。
しかし平安の雅もどこ吹く風のプリミティブさはまこと「男らしい」ですね。
隆蓮房様に使うべき言葉ではありませんが(笑)

> で、自分自身を捧げる観想もありますが、これが結構グロい。

「捨身飼虎」、みたいなのでしょうか。想像するだに恐ろしいです。。。

> 「汁」は加工された甘味の軽食なので、
> 「菓」は加工がなされていない(若しくは干しただけ、とか最小限。)
> という意味での果物なら何でもいいのでは?

なるほど!

> 私の場合、保存がきいて入手が容易い「果物たっぷりゼリー」のようなものをお供えすることもあります。
> 邪道かもしれないけれど、時間や費用をある程度節約しなくては本末転倒になってしまうので。

これまたなるほど!守るべきは形式以上にまず精神ですね。私は杓子定規になりがちゆえ、肝に銘じます。

何の益体もない感想ばかりで面目ございません。

宜しければまた後日、別の掲示板にてお話をお聞かせ下さいませ。
(食べ物の話からは逸れてしまいますので。)

失礼致しました。重ねて厚く御礼申し上げます。
 

Re: 仏様への捧げものについて

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2010年 5月30日(日)12時17分28秒
返信・引用 編集済
  > No.72[元記事へ]

Kさんへのお返事です。

再びのご来庵、ありがとうございます。
既に沢山の知識をお持ちのようなので、どうかこの掲示板にてシェアして下さるようにお願い申し上げます。

さて、では、今回のご質問をば順次見ていきましょう。
>

> この円柱形の仏飯は、いわゆる「盛槽」を使って固めたものでしょうか?
> これを使うのは真宗大谷派だけではなかったのですね。有難うございました。

す、すみません。
勉強不足で、何という道具なのか名称を存じません。
考えたこともございませんでした・・・・・・がっくり。
竹筒と木の棒で押し固めます。
すごい原始的な道具です。(高野山真言宗って、基本「原始的」です)
今度画像をアップしますのでお待ちを。

師僧の寺(勿論、高野山真言宗です)で妙な道具(金属製)を見て「へぇ~、ハイテクなものを使ってるなあ」と思ったのですが、あれが盛槽だったのですね!!
格段に使い心地がよかったです。
ってか、「盛槽」という言葉も初めて存じた次第です。

うぉ~、こちらが勉強になりました。

だいたい、「もっそう」なんていう読み方(湯桶読み)をするような単語、古義真言宗ではあるんだろうか?・・・・・大抵は漢音か呉音だもん。たまに梵語の日本発音だったり。



>
> 下の精進具は何と言うか、大胆かつダイナミックですね(笑)

だから、高野山は、基本「原始的」・・・・・・。
まあ、ものは言いようですが、「ダイナミック」か・・・・・それ、イイ!
ドン、ドーン!って二箇所切って置くだけだもんね。

煮炊きをするってのは、ある意味贅沢なんでしょうね。
厳しい修行(?)だとそんな時間ないし、行者は冷食ですよ!
それに、精進具ですと、ご飯だけ日替わりですが、あとは長持ちしますんで、貧しい時代の名残なのかなあ。

で、これはね、チベットの高僧(その昔コーダイにいらしたことがある)がおっしゃってたんだけど、
「生の大根は辛いので、本来は仏教の供物としてはふさわしくない。
 だけれども、密教では酒や肉など、本来の仏教でタブーとされているものを敢えて供物と為したりする。
 私は高野山で精進具に生の大根を見たとき、その一種だと思った。」
と。

要するに「五辛」というように、仏教では刺激物はダメなはずなのに、それを供えるのは何とも「密教的」だ!!
とチベットを亡命して遥か日本にやって来て、同じ密教であると共感したと。

そういえば、ウチの師僧は徹底してたから、天ぷらの大根おろしも「さっと火を通して辛味を抜け」とおっしゃってたし。

>
> > 一応、建前は僧侶は私有財産を放棄しているので、ゴージャスな供物をお供えする
> > ことはできないハズなんですね。
> > ですから、観想の中で様々な供養を捧げる、ということになりますね。
>
> なるほど、そういう理論的背景があったのですね。目からウロコです。

チベットでは「曼荼羅供養」ってのをやるんですけど、
この場合の曼荼羅ってのは、具体的に言うと「須弥山」をモチーフとしたオブジェを使ったりするんですが、要するにこの世界の象徴です。
つまり、世界そのものを仏に供養しちゃう。
スケールでかっ!!

まあ、中国・日本でも貧しい人があばら屋に住んでいても(ハッキリ言うとホームレスな方)「この世界が家だもんね!」と開き直り・・・・・じゃなくて発想の転換をする話は出てきますんで、そういうことです。

無財の僧侶にとってみれば、逆に、この世界のすべてのものを捧げることができるんです。

で、自分自身を捧げる観想もありますが、これが結構グロい。



> 「汁」というの小豆のこと
> なのですね!名前からは吸い物とか味噌汁のようなものを連想しており
> ました(笑)覚書ブログも拝読しましたが砂糖を掛けるのだそうで、
> そうなると汁という名前からしてもぜんざいみたいなものが本来という
> ことでしょうか。

「小豆をさっと煮て上に砂糖を振る」と習いました。
そうです、善哉ですね。
汁気はちょっとあったほうがいい。

例えば、どうしても時間がなかったり設備がなかったりすることもあるので、そういう場合は「小豆缶」を使用することもあるのですが、
師僧はそれにも砂糖を振るようにおっしゃいました。

「ちゃんと砂糖を振りましたよ!!」って意思表示。
こだわりがある方だったので、「白砂糖がちゃんと見えるように」とも言っていたなあ。

まあ、そこまでする人は少ないでしょうけど、
甘いものというのは人間の本能が求めるもので、しかし、自然界でこれを得るということは難しく、やっぱり贅沢品だったはずです。

『ファンシィダンス』でも、「寺にいると、どんな酒豪でも酒一升より饅頭一個を取るようになる」というのがありました。


>
> 「餅」というのは文字通りなのでしょうけど、何故ご飯とは別にわざわざ
> 同じような材料のものを捧げるのでしょう。

う~~ん、何でだろ?
「ハレ」の気分なんだろうけど。

餅は日本では色々な意味があるから、その辺はご存じでしょうから省略しますが、
インドチベットでも、何らかの加工物を供えるんですよ。
英語訳だと「cake」ってなっていて、チベットでは「トルマ」という小麦粉を練って成形した供物を作ります。

で、隆蓮房が思うに、餅って英語で「ライスケーキ」じゃないですか?
コレって偶然だろうけど、すごくね?って。

> ちなみに捧げるときはやはり紅白の鏡餅みたいな形式なのですか?

餅は白の丸が本義です。
できれば二重に重ねますが、貧しい行者では無理なんで、一重でも可。
関西ではスーパーで普通に丸餅が手に入ったのですが、関東以北では切り餅しか手に入らないので、当院では切り餅です(師僧の許可ありますし、ご自身関東の出身だったので事情をご存知)。

ご飯を染めたりすることは場合によってありますが、餅を染めることはないなあ・・・・・私が知らないだけかも。

>
> 「果」とは、古くは干し柿であったとのこと。今はどうなのでしょう。果物
> なら何でも良いのでしょうか?推察するに酸っぱいものではなく甘いもので、
> 果物の本来的意義からして木に成るもの、が条件となろうか、と。でももし
> そうなるとレモン、梅やイチゴ、スイカ、メロン等はアウトになりそうですね。

よく「水菓子」ってのが「羊羹」か何かだと思っている方がいらっしゃるそうで・・・・
(ってか、「羊羹」だって本来は羊の煮込みスープじゃね?)
「菓」っていうと「お菓子」の類を連想してしまいますが、「木菓子」「田菓子」の別があってこの場合は「水菓子」、つまり木になる果実=「果物」です。
昔は、果物で甘味を補給して、それが「お菓子」というか「おやつ」だったんでしょうね。

おっしゃる通りでございますね。
そこまで厳密に考えたことがございませんでした。

高野山は和歌山で、和歌山というと蜜柑や柿、これらは手軽に入手できて助かります。
昔もそうだったのではないでしょうか。
現代は一年中どんな果物でも手に入りますが、旬のモノをお供えするのがいいでしょう。
バナナを供えたりする当院はぎりぎりセーフでしょうか? え? ダメ?
イチゴはいいんじゃないかな? 文献に出てくる果実なので「菓」にも或いは用いたのではないかと妄想。

で、当院はかなり逼迫しているので、「大棗」を用いることが多いです。
これは、棗を干したもので、保存がきくので、いつでも使える!
独特の甘い香りが漂い、色は華麗な赤!! ←隆蓮房は赤レンジャー
しかも、漢方薬の一種ですから、仏、特に薬師を祀る寺院にうってつけかと。
一石三鳥?四鳥?です。

私は、頂き物であれば、メロンを始めどんな果物でもお供えします。
甘いものならなおいいですが、要するに主食以外のモノ(ご飯・餅は別に供えるので)でデザートですね。
「汁」は加工された甘味の軽食なので、
「菓」は加工がなされていない(若しくは干しただけ、とか最小限。)という意味での果物なら何でもいいのでは?

旬のものしか入手不可だった時代、柿は干し柿を使用することもあったでしょうが、
現代においては、みずみずしい果実をお供えできるのであれば、それに越したことはないでしょう。

私の場合、保存がきいて入手が容易い「果物たっぷりゼリー」のようなものをお供えすることもあります。
邪道かもしれないけれど、時間や費用をある程度節約しなくては本末転倒になってしまうので。

http://blog.goo.ne.jp/ryu-ren_bou/

 

Re: 仏様への捧げものについて

 投稿者:K  投稿日:2010年 5月30日(日)04時08分15秒
返信・引用 編集済
  > No.71[元記事へ]

隆蓮房さま

再びお邪魔致します。御丁寧なご回答を賜り誠にありがとうございます。

> 参考までに、我々プロの壇のお供えは、普段は洗米です。
> 特別な時だけ熟飯(炊いたご飯)を「突仏供(つきぶっく)」にします。
> ご本尊様の前の精進具(三方に五種類の供物)を供える時は、野菜などは生ですが、
> ご飯は炊いたものです。

ご紹介頂いた上の画像が「突仏供」で、下が「精進具」ですよね。
この円柱形の仏飯は、いわゆる「盛槽」を使って固めたものでしょうか?
これを使うのは真宗大谷派だけではなかったのですね。有難うございました。

下の精進具は何と言うか、大胆かつダイナミックですね(笑)

> 一応、建前は僧侶は私有財産を放棄しているので、ゴージャスな供物をお供えする
> ことはできないハズなんですね。
> ですから、観想の中で様々な供養を捧げる、ということになりますね。
> 我々は「仏に仕える身」、この自身そのものを仏に捧げています。・・・・・何だか、
> 私も年をとってそういう心境が強くなってきました。

なるほど、そういう理論的背景があったのですね。目からウロコです。

ところで、事のついでに「飯汁餅果」についても伺いたいのですが。。。

「飯」については既にご教授頂きましたが、「汁」というの小豆のこと
なのですね!名前からは吸い物とか味噌汁のようなものを連想しており
ました(笑)覚書ブログも拝読しましたが砂糖を掛けるのだそうで、
そうなると汁という名前からしてもぜんざいみたいなものが本来という
ことでしょうか。三宝荒神さんがこの類のものがお好みだという話は
聞いた事があります。
それにしても何故仏壇にお饅頭を上げることが多いのか分かってスッキリ
しました。

「餅」というのは文字通りなのでしょうけど、何故ご飯とは別にわざわざ
同じような材料のものを捧げるのでしょう。確かに形状は違いますし材料
も厳密にはうるち米ともち米の違いもありますけども。しかし、そういえば
神道でも米とは別に餅を捧げるのですよねえ。。。
ちなみに捧げるときはやはり紅白の鏡餅みたいな形式なのですか?

「果」とは、古くは干し柿であったとのこと。今はどうなのでしょう。果物
なら何でも良いのでしょうか?推察するに酸っぱいものではなく甘いもので、
果物の本来的意義からして木に成るもの、が条件となろうか、と。でももし
そうなるとレモン、梅やイチゴ、スイカ、メロン等はアウトになりそうですね。


。。。またぞろ駄文を連ね申し訳ございません( _ ,)
 

Re: 仏様への捧げものについて

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2010年 5月28日(金)22時29分22秒
返信・引用 編集済
  > No.70[元記事へ]

Kさんへのお返事です。

ご来庵ありがとうございます。

> とても勉強になります。有難うございます。

私自身は勉強不足で、このサイトに書いてあることは精誠を致すと言えども、あくまで「隆蓮房的」だと思って下さい。

そしてまた、このサイトは「参加型」の第三の寺院です。葬式寺や祈祷寺ではなく、皆さん一人一人が修行していくことを応援していくサイトです。
ですから、皆さんが参加することによって発展していくサイトであり、そうやって皆さんの修行もまた発展していくことを願ってやみません。

私にもわからないことは沢山あります。
このサイトの常連の方々は、深い知識を持った方、行に励んでいらっしゃる方、色々な方がいらっしゃいます。
ですから、私だけでなく、この掲示板を通して皆さんにお尋ねするということになると思います。
他の方々も、そのつもりでご支援のほど、よろしくお願いいたします。

蛇足ながら、だからと言って「正しい」答えが得られるという保証はないのですよ。
ここは、あくまでバーチャルな伽藍なのです。
そして、そもそも「正しい」という基準は、極めてあいまいなものですしね。

以上、前置きが長くなりました。
お許しください。

>
> 仏壇でのお供えものについて、ご教授を願いたく存じます。
> 話を展開しやすくするために、神道の神饌と絡めつつ記させて頂きます。
>
> 1.米 「神棚には生のもの(=洗米)、仏壇には調理したもの(=炊いたご飯)」という
> ことばをいろいろなところで目にしますが。在家の仏壇でも洗米で構わないのでしょうか?

日本人は米離れが進んでおりまして、朝は洋食というご家庭もあるかと思います。
それならば、洗米でも構いませんし、今時はパンでもよいのではないでしょうか。

参考までに、我々プロの壇のお供えは、普段は洗米です。
特別な時だけ熟飯(炊いたご飯)を「突仏供(つきぶっく)」にします。
ご本尊様の前の精進具(三方に五種類の供物)を供える時は、野菜などは生ですが、ご飯は炊いたものです。

一応、建前は僧侶は私有財産を放棄しているので、ゴージャスな供物をお供えすることはできないハズなんですね。
ですから、観想の中で様々な供養を捧げる、ということになりますね。
我々は「仏に仕える身」、この自身そのものを仏に捧げています。・・・・・何だか、私も年をとってそういう心境が強くなってきました。

そこで、在家さんが夕御飯を炊く場合ですが、せっかく炊いたご飯を仏壇にお供えしたいというのなら、それはもっともな心情ですので、そうなさってもよろしいでしょう。

しかし、本来、仏教の戒律では正午を過ぎると固形物を取ってはいけないので、お供えしなくてもかまいません。
もし、朝に食事を捧げたのなら、昼には下げるべきだという主張もよく聞きます。


>
> 2.酒 「仏前に上げるべからず」という話も「先祖の供養のためなら酒でも上げてよし」と
> いう話も耳にします。また近くの観音様では隆蓮房さまが下で書かれているようにお神酒の
> ようにして捧げたあと直会(なおらい)よろしく持ち帰って頂く、ことになってます。
> 真言宗ではどうなのでしょう。仏様への捧げものとして酒を上げてもよいのでしょうか。

私自身は、正直な話、あまり強く推奨しません。
何故なら、仏教には「酔うものを飲まない」という戒律があるからです。

しかし、日本の神仏習合的観念では、酒をお供えしたい気持ちもわかります。
実際に、特殊な尊では「お酒を供えよ」という指示が経典に書かれてありますし。
わざわざ買ってまでお供えする必要はないけれども、もし偶然お酒が入手できて、それをお供えしてお下がりを頂いて御利益を頂きたいと思うのならば、それも悪くはないでしょう。

>
> 3.水 仏教では茶湯器に入れて水を捧げますが、これと「閼伽」の水とは本来別物ですよね。
> やはり閼伽は別に何らかの器に入れてご本尊の近くにおくのが望ましいのでしょうか。
> (花瓶の中の水がそれを兼ねているという話も聞きますが。)
> また、飲食の捧げ物として水と湯と、あとお茶とではどれが最もよいのでしょうか?
> (そもそもお茶というのは寺院での正式な供物の中に入っているのでしょうか)

昔なら湯茶というのは贅沢品です。
密教のお供えで一番大切なのは六器です。極端に言えば、これさえきちんとしていれば他のものはなくても構わないのです。
このわずかの供物が無量広大の供養となって一切の聖衆を供養するのです。

ですから、御茶よりも「水」が基本だと思います。
閼伽は、プロの場合は、足を洗う水と口を漱ぐ水の二種類です。

ただ、今時は皆さん毎朝御茶を召し上がるでしょうから、一煎目の最初のお茶をお供えするのもいいでしょう。

>
> 4.塩 これは純粋に神道だけのものかと思っていましたら、禅宗や日蓮宗では仏前に
> 捧げることがあると耳にしました。真言宗でも使われることはあるのですか?

禅宗と日蓮宗に関しては、寡聞にして存じません。ごめんなさい。
真言宗では・・・・・というか、高野山では仏前に塩を供えることはないと思います。
私は、そのようなお供えをしたことはありません。
逆に行者が「塩断ち」をすることはありますが。

>
> 祀られている本尊の違いや先祖供養のためか否かなどで事情も違ってくるのやもと愚案
> しておりますが、

おっしゃる通りです。
その尊の好むものというのはありますが、前述したように、六器の供物が必要最小限であり、最大限に変化するので、これがあれば恐れることはありません。

在家さんがお供えするのなら、中央の香炉に線香をたて、左に花、右に燈明、これだけでおっけ!。
もし余裕があるのなら、水と仏飯をお供えすれば完璧ということになります。

よろしければ、下記記事もご参照ください。
http://ruriko.hanagumori.com/anjubeya/mikkyoubeya/7.html

http://blog.goo.ne.jp/ryu-ren_bou/

 

仏様への捧げものについて

 投稿者:K  投稿日:2010年 5月28日(金)05時58分54秒
返信・引用 編集済
  隆蓮房さまはじめまして。真言宗について調べておりましてこちらのサイトと御縁を頂きました。
とても勉強になります。有難うございます。

本当はメイン掲示板の方に書かせて頂こうと思ったのですがエラーが出てしまいますのでこちらの
方で失礼致します。一応、食べ物には関係することですので。。。

仏壇でのお供えものについて、ご教授を願いたく存じます。
話を展開しやすくするために、神道の神饌と絡めつつ記させて頂きます。

1.米 「神棚には生のもの(=洗米)、仏壇には調理したもの(=炊いたご飯)」という
ことばをいろいろなところで目にしますが。在家の仏壇でも洗米で構わないのでしょうか?

2.酒 「仏前に上げるべからず」という話も「先祖の供養のためなら酒でも上げてよし」と
いう話も耳にします。また近くの観音様では隆蓮房さまが下で書かれているようにお神酒の
ようにして捧げたあと直会(なおらい)よろしく持ち帰って頂く、ことになってます。
真言宗ではどうなのでしょう。仏様への捧げものとして酒を上げてもよいのでしょうか。

3.水 仏教では茶湯器に入れて水を捧げますが、これと「閼伽」の水とは本来別物ですよね。
やはり閼伽は別に何らかの器に入れてご本尊の近くにおくのが望ましいのでしょうか。
(花瓶の中の水がそれを兼ねているという話も聞きますが。)
また、飲食の捧げ物として水と湯と、あとお茶とではどれが最もよいのでしょうか?
(そもそもお茶というのは寺院での正式な供物の中に入っているのでしょうか)

4.塩 これは純粋に神道だけのものかと思っていましたら、禅宗や日蓮宗では仏前に
捧げることがあると耳にしました。真言宗でも使われることはあるのですか?

祀られている本尊の違いや先祖供養のためか否かなどで事情も違ってくるのやもと愚案
しておりますが、御高説を賜れれば幸いに存じます。
 

Re: 五観の偈の書写について

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2010年 5月23日(日)17時31分2秒
返信・引用
  > No.68[元記事へ]

ぴちょんくんさんへのお返事です。

> 書くのが遅くなって申し訳ありません。

私なんかは超遅筆なもので、どうか御気になさらないでくださいね。

> どう書けば宜しいでしょうか?

覚えていらっしゃる範囲で結構ですよ。
おまかせします。

当庵は参加型のサイトです。
お気軽にご参加くださいませ。

http://blog.goo.ne.jp/ryu-ren_bou/

 

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