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続きです。

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年10月16日(金)00時14分25秒
返信・引用
  すっごい時間差ですが、ごめんなすって。


「供養」と「布施」は同義のようですが、チベット語においては次のような違いがあります。
与える対象を4つに分類するのですが、そのうち上位2つと下位2つにさらに分けます。
上位のものとは、仏や菩薩などの尊いものたち、
下位のものとは、六道に輪廻するものたち。

上位に与えることを「供養」といい、下位に与えることを「布施」と使い分けます。

そのことをお含み頂き、以下をお読みくださいね。


凡夫たる私の身体にはみほとけがましまして、そのみほとけに供養するために食事を摂る。
みほとけに供養するための食事であるから、誠心に調理してお供えする。
食する時は喉に阿弥陀仏を観想して、供養すると観想する。

そして、私の右肩に阿弥陀仏を観想する。
私が歩けば、阿弥陀仏を右遶(右回りに回る)ことになる。
私たちが袈裟を右肩を出して着用する(偏袒右肩)のはみほとけに対する敬意である。
インドの礼儀作法なんですね。

インドって未だにトイレットペーパーを使わないでハンドウォシュレットじゃないですか?
ハンドウォシュレットに使う手は左手と決まっていて、それは不浄の手。
だから、食事をする時は絶対に右手だ(これまたスプーンを使わずに器用にカレーを口に運ぶ)。
そりゃ、ハンドウォシュレットした素手でごはん食べたくないよね?

だから右は尊い方角であって、みほとけを礼拝する時は、右回りに回る。
現代でも、お堂というのは右回りに回る。
もし、お堂を回る機会があったら、右回りに参拝してくださいね。

話を戻すけれども、
このように考えると、日常生活、どれをとっても仏を供養し礼したてまつることに他ならないわけで、
俗事だと思っているようなことも、実は聖なる行なのかもしれません。

浄穢を超えていくのは仏教の真髄、空の完成でしょう。
だけど、凡夫にはイキナリ無理。
ハンドウォシュレットの手でご飯を食べろ、と言っても、生理的に無理。

だから、心を静め、誠心で調理をして、身体にましますみほとけに供養する、
それでいいのではないでしょうか?
 

Re: 食事について

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 4月12日(日)14時20分39秒
返信・引用
  > No.63[元記事へ]

ぴちょんくんさんへのお返事です。

> 私は以前より気になっている事があります。それは「食べ物は精神にも影響を及ぼす。」という話です。禅の修行で「魔境」と言う状態に陥ると修行を一旦中止するそうです。そして高タンパクで低カロリーの食事に変えるそうですがこれは脳に働きかけると言うことでしょうか?

ごめんなさい、禅宗のことはよくわかりません。
これをご覧になっている和尚様いらっしゃいましたら、ご回答をよろしくお願いします。


>ヒンドゥー教のグッズを売っているサイトには「食事をしたり料理を行う時に唱えるマントラ集」と言うCDかDVDがあります。商品の解説には「料理する時材料の調達方法や料理する人の心の状態により食事をする人もその影響がでます。この中には
> その影響を取り除き料理を浄めるマントラが収録されています。」とあります。

ヒンドゥー教のこともよくわかりません。
でも、チベット密教のリトリートで供物を料理する時にマントラをお唱えしたりしますね。
理由はよくわかりません。
浄めるためなのかどうなのか。

ただ、美味しい料理のコツが「愛情ひとつまみ」であるってみんな知っているでしょう?
料理人が憔悴していれば「愛情ひとつまみ」を加える余裕もないでしょうから、料理人の精神を整えて、また食材のうまみを最大限に引き出せるように「お願い」をするのは当然のことでしょう。



>これがもしも本当ならばいわゆる「ファーストフード」や「インスタント食品」と言うのは本来食べてはいけない事になります。如何しても食べなければならない場合は浄めてから食べる事になります。当然ながら神仏に供えたり捧げたりする料理の材料や調理された料理は言うまでもありませんが日常生活においては「感謝しておいしく頂く。」で良いのでは、と思います。

たとえば、イスラムでは屠殺のときに誦える経文のようなものがあるそうです(テープを流してると聞いたこともありますが)。
そうやって浄められた肉じゃないと食べられない。
ただ、生きているものを殺すのだから、気持ちのいいものじゃないことは確か。
植物だって(印度西蔵では輪廻しないことになっているけど)生きている。
その生命を戴くときに、「ごめんね」「ありがとう」という気持ちを抱くことも必要でしょうね。

ファストフードやインスタント食品ってマックやカップラーメンのことでしょうか?
一概に悪いとは言えないと思うけど、健康的でないのは確かです。
ただ、我々行者が食べるそば粉なんかも、ファストフード(手軽に取れる食事)でありインスタント食品(溶かすだけだから)ですよね、昔の感覚からしたら。
ぐつぐつ何日も煮込んで作るようなものとか、コースのようなものは労力が勿体無いからね、本来は。

戦国時代に、政宗が陣中で食べられるインスタント味噌汁を考案した(縄に仙台ミソをすり込んだ・・・刻んでお湯に放てば味噌汁完成)。
そういうのは、いいんじゃないの?



>「浄める」と材料から料理する人や食べる人迄みな「穢れている」事になりますが実際の所は如何なのでしょうか。確か曹洞宗や臨済宗等禅の伝統を伝える寺院では調理場か食堂に大黒様が祀られているのは上記の意味合いも含んでいるのでしょうか?私としては「あれは汚い、これはきれい」と分け隔てる方がまずいと思いますが・・・。(食べられられない物は除きます。)

おっしゃることはよくわかります。浄穢の概念を超えていくのが仏教のあり方です。
だから、仏教徒は墓場で修行したし。
密教徒は、あえて不浄の肉とされるものを食べた。

ただ、こういう考え方もあるわけです。
仏教は苦行ではなく、身体を苛めるために断食をしたりはしない。
が、逆に飽食に浸ることもしない。
では、食事を食べるのは何のため?
それは、自分の身体の中の仏さまに供養するため。
ですから、ほとけさまの供物を誠心誠意で調理するのはいいことなのではないでしょうか?
食事というありきたりのつまらない行為であっても、供養の修行だと観想して行うんです。

ちょっと長くなりそうなので、一旦きります。
 

食事について

 投稿者:ぴちょんくん  投稿日:2009年 4月12日(日)09時49分19秒
返信・引用
  私は以前より気になっている事があります。それは「食べ物は精神にも影響を及ぼす。」という話です。禅の修行で「魔境」と言う状態に陥ると修行を一旦中止するそうです。そして高タンパクで低カロリーの食事に変えるそうですがこれは脳に働きかけると言うことでしょうか?ヒンドゥー教のグッズを売っているサイトには「食事をしたり料理を行う時に唱えるマントラ集」と言うCDかDVDがあります。商品の解説には「料理する時材料の調達方法や料理する人の心の状態により食事をする人もその影響がでます。この中には
その影響を取り除き料理を浄めるマントラが収録されています。」とあります。これがもしも本当ならばいわゆる「ファーストフード」や「インスタント食品」と言うのは本来食べてはいけない事になります。如何しても食べなければならない場合は浄めてから食べる事になります。当然ながら神仏に供えたり捧げたりする料理の材料や調理された料理は言うまでもありませんが日常生活においては「感謝しておいしく頂く。」で良いのでは、と思います。「浄める」と材料から料理する人や食べる人迄みな「穢れている」事になりますが実際の所は如何なのでしょうか。確か曹洞宗や臨済宗等禅の伝統を伝える寺院では調理場か食堂に大黒様が祀られているのは上記の意味合いも含んでいるのでしょうか?私としては「あれは汚い、これはきれい」と分け隔てる方がまずいと思いますが・・・。(食べられられない物は除きます。)
 

まさに

 投稿者:小坊主太郎  投稿日:2009年 3月 9日(月)12時44分35秒
返信・引用
  これ、先日の話題(飲酒したが為に他の四波羅夷を破った)の例です。


<傷害致死>容疑の修行僧逮捕 飲酒中に口論 滋賀・東近江
(毎日新聞 - 03月08日 01:51)



 修行僧の男性(47)を転倒させて死なせたとして、滋賀県警東近江署は7日、同県東近江市永源寺高野町の臨済宗永源寺派総本山・永源寺の修行僧、内山忠昭容疑者(52)を傷害致死容疑で逮捕した。同署によると、6日夜に境内にある寮で飲酒中にこの男性と口論になった。7日昼前、同署に出頭し、「修行のことで口論になった」と供述しているという。

 逮捕容疑は、6日午後11時半ごろ、寮の自室で修行僧と飲酒し、男性の腕をつかんで縁側に押し出すなどして約50センチ下のコンクリート通路に落下させて死なせた、としている。同署によると、他の修行僧らが男性に気づいた。病院に搬送されたが、男性は頭を強く打っており、7日午後0時45分ごろに死亡した。【
 

Re: 戒律について4

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 3月 8日(日)15時31分52秒
返信・引用 編集済
  > No.60[元記事へ]

ぴちょんくんさんへのお返事です。

> 仏教は覚醒の教えである為酔わせるのも禁止と言うのは分ります。でも如何しても分らない所があります。「飲むな。」と強制されるよりも「飲まない」と自らを律する、と言うのも分ります。

上座部仏教では酒は禁止されていますが、ヘビースモーカーの長老なんかはいるらしいです。
戒律に喫煙を禁じる条項がないからです。
でも、それは釈尊の時代のインドにタバコがなかっただけです。
タバコと言うものは喫煙者に言わせると「もやもやがすっきりする」そうですが、じゃあ覚醒を促すのかと言うとそうではなく、あれも立派な中毒を引き起こしますので、ドラッグ以外の何ものでもないです。
第一健康に悪いし。
ちなみに、チベットの僧侶からは「脈管(tibツァ:気の通る道)が汚れるので吸ってはいけない」と言われました。
もし釈尊がまだご存命でしたら、きっと喫煙を禁止する戒律が制定されることと思います。

まあ、戒律ってそういうもんなんですよ。
新たな戒律が制定されることはまあないので、緩んでいくしかないんですよ、方向性としては。

屁理屈をこねて「ここまでいいだろう」と解釈しようと思えば、いかようにも解釈なされ得るんですね、それは例えば憲法なんかとも一緒ですが。


>分らない所は後期密教では儀式の最中に酒が回って来ると言うのはどういう事でしょうか?「甘露」と言う事は「お神酒」と解釈しても宜しいのでしょうか。ここで言われる「酒」は「酒」でも般若湯とすると智恵の象徴として儀式の最中に回って来るから「飲まない訳にはいかない。」のですか。それとも他に理由があるのですか。

密教で酒が飲まれる理由は、ズバリ「経典に書いてあるから」。
以下、勝手にカテゴライズしてみました。
1.お神酒と同じ(尊にささげてお下がりを戴く)
2.象徴
3.浄穢の二元論を超える(密教ではあえてタブーを犯すことがある)

密教の目指すところは「苦」や「楽」を離れた「大楽」の境地なわけです。
でも、これを実践して堕落しない人のほうが稀なので、非常に危険を伴う道です。

儀式で酒が回ってくるといっても、ちょっと掌に受けてなめる程度ですよ。
同時に肉も回ってきます。
普段ベジタリアンの僧侶でも、ちょこっとだけ口にします。


> 庵主様の回答を読んだ時に「そこまでして(酉+古)飲みたいのか」と思いました。

え〜と、言葉通りに受け取らないように。
私は口だけ番長なので(笑)、言うほど飲めませんよ。
もしかして大酒豪だと思っていらしたのなら、期待を裏切ってしまって申し訳ありませんね・・・・・。


>僧侶に上戸が多いのは何故ですか。私の知る限りとは言っても2,3人ですが。

それは単なる破戒僧。
ま、弘法大師が許した(御遺告)とか理由はいくらでもあるしね。
上述したように、破ろうと思えば、いくらでも理屈はこねられるんです。

ぴちょんくんさん、KY(これは誉め言葉です)な鋭い突っ込みをありがとう。
よろしければ、大学者の書いた戒律に関する本(いっぱい出ています)を読んでみて下さい。
面白いですよ。
私もこの貴重なやりとりを、のちほど本堂の方(瑠璃光庵Q&A)に再掲したいと思っています。

このように、僧侶への厳しいご意見は望むところです。
みなさんでいろいろな疑問を解決していけたらいいですね。
遠巻きにしている方々も、どうぞ感想やご意見などお寄せ下さって、参加型の第三の寺院である瑠璃光庵を盛り上げてください。

よろしくお願いいたします。

http://ruriko.hanagumori.com

 

戒律について4

 投稿者:ぴちょんくん  投稿日:2009年 3月 8日(日)02時10分59秒
返信・引用
  仏教は覚醒の教えである為酔わせるのも禁止と言うのは分ります。でも如何しても分らない所があります。「飲むな。」と強制されるよりも「飲まない」と自らを律する、と言うのも分ります。分らない所は後期密教では儀式の最中に酒が回って来ると言うのはどういう事でしょうか?「甘露」と言う事は「お神酒」と解釈しても宜しいのでしょうか。ここで言われる「酒」は「酒」でも般若湯とすると智恵の象徴として儀式の最中に回って来るから「飲まない訳にはいかない。」のですか。それとも他に理由があるのですか。私はコップ半分の酒
さえ受けつけ無いので庵主様の回答を読んだ時に「そこまでして(酉+古)飲みたいのか」と
思いました。僧侶に上戸が多いのは何故ですか。私の知る限りとは言っても2,3人ですが。
 

Re: 戒律について3

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 3月 8日(日)01時07分43秒
返信・引用 編集済
  > No.58[元記事へ]

ぴちょんくんさんへのお返事です。

> 不飲酒戒の解説、ありがとうございました。酒を飲むこと自体はそんなに罪にはならない、と言うのはなんとなく分りましたが、酔った上でやってしまった間違いは「罪」である、だから酒を飲んではいけないと言うと戒律と言うよりは頓智を利かせると言う感じがします。

酔った上でやってしまった間違いが罰せられないほうがおかしいと思いませんか?

私は法学は全く分からないのですが、司法浪人生だから教えてもらったことがあります。

隆蓮房
「過度の飲酒の上で罪を犯しても、心神耗弱状態の故なので罪が軽くなるっておかしくない?
そういう人は飲んじゃいけないよね?
アル中にやさしい法律って、なんじゃ、そりゃ?」

浪人生
「おかしいよね。
でも、自分が酒を飲んだら確実に人を殺すのを自覚していて、わざと酒を飲んで殺したら、それは適用外。
罪になるんだよ。」

ナントカって難しい法律用語を教えてくれたけど、覚えていません。
ごめんなさい。
他の板の常連の方で法律に詳しい方がいらっしゃるので、教えていただければと思います。

日本では飲酒運転が厳しく罰せられるようになりました。
「飲んで正常な判断力を失った状態だったのでひき逃げしちゃったんです、わざとじゃありません! だから無罪です!」っていういい訳が通用しないことは誰しもわかるでしょう。

飲酒したら絶対に事故を起すわけではありませんが、確実に事故を起こす可能性が増えます。
飲酒は事故の因となるわけです。
ですから、「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」なんですね。

こういう厳しい姿勢が仏教の戒律にもあって、飲酒したら他の重罪を犯す可能性が確実に高くなる、だから「飲んだら仏教徒ではない、教団にいたいのなら飲むな」というほどの重罪(五戒の一つ)ことになるのかな?

でもね、「不飲酒戒」という名で親しまれているけれど、比丘戒では「飲酒戒」という名前になっています。
「飲むな!」と強制されるんじゃなくって、「私は飲まない!」と宣言して自律するんです。

仏教は覚醒の教えだから、酔わせるものはご禁制です。



> 「高位の境涯に達した宗教家(者)は修行を楽しんで行なう事が出来る。」と言われるのを聞いて庵主様の言われる事がやっと理解出来た気がします。庵主様の場合は「酒」ではなくあくまでも「般若湯」なのですね。

理趣経の正式名称は「大楽金剛不空真実三摩耶経」です。
悟りの境地は「大いに楽しい」そして「ダイヤモンドの如く不壊」で「空しくない、真実」なんですね。

チベットのラマたちは肉食はしますが(前に言ったように食肉戒がないから破戒ではない。でも個人的にベジタリアンの僧侶はいる)、大酒飲み(?)が多いですね。
何故なんだ?
戒律で飲酒戒はあるはずなのに。
やっぱ、般若湯なのか?

まあ、後期密教だと儀式の最中に甘露(要するに酒)がまわってきますので、飲まないわけにもいかないのですが。
打ち上げでも飲んでらっしゃるよな〜〜〜〜。

http://ruriko.hanagumori.com

 

戒律について3

 投稿者:ぴちょんくん  投稿日:2009年 3月 7日(土)13時55分31秒
返信・引用
  不飲酒戒の解説、ありがとうございました。酒を飲むこと自体はそんなに罪にはならない、と言うのはなんとなく分りましたが、酔った上でやってしまった間違いは「罪」である、だから酒を飲んではいけないと言うと戒律と言うよりは頓智を利かせると言う感じがします。
ちょうど「知恵の輪」の様に力任せに外そうとすると取れないのと同じ様にガチガチに戒律を守ろうとせずに、無意識の内に守るのが良い、と言う事でしょうか?それならば修行も又
楽しいものですね。最近WICCA(魔女宗)の司祭長の方のサイトヘ行かせていただいていますが同じ様な事を言われていました。「高位の境涯に達した宗教家(者)は修行を楽しんで行なう事が出来る。」と言われるのを聞いて庵主様の言われる事がやっと理解出来た気がします。庵主様の場合は「酒」ではなくあくまでも「般若湯」なのですね。
 

Re: 戒律について2

 投稿者:隆蓮房  投稿日:2009年 3月 5日(木)22時09分21秒
返信・引用 編集済
  > No.56[元記事へ]

ぴちょんくんさんへのお返事です。

> 不飲酒戒の所の「不コ(酉+古)酒戒だから・・・」とはどういう意味ですか?投稿してからずっと考えていましたがやはり分りませんでした。

ずっと考えていたって・・・・・2ヶ月も・・・・・。
すごい根気ですよね?

ところで、こういったことは「考えて」もわからないでしょう。
調べなければ。

漢和辞典で「酤」という字を調べてみてください。
すると、「酒を売る」とか「酒を買う」という意味であることがわかります。

戒律には様々なものがありますが、真言宗常用経典に記載されていて夕勤などで読誦するものに「梵網経」があります。
ですから我々にとって、このお経に説かれる戒律は、二百五十戒よりも馴染み深いものです。
そこには十重禁戒という10の重い罪が出てきます。
その中に不飲酒戒はなく、かわりに「不酤酒」が出てきます。

つまり、酒の売買を禁止しているのです。
(だから、もらった酒ならいいとか、言い訳をするんですな、隆蓮房は)


実は、酒というのは飲むこと自体にそんなに罪があるわけではないんです。
しかし、酒に酔ったことによって判断力を失って様々な罪が引き起こされるわけです。
たとえば、五戒ですが、他の4つが重い罪だというのは誰でも納得がいくと思うんです。
じゃあ、何故同じレベルの重さの罪に「不飲酒戒」が相当するのか?

或る男が酒を飲んで酔っ払った。
そして、隣の家の鶏を盗んで(不盗偸戒)殺し(不殺生戒)食べようとしたところを隣の奥さんに見つかって言い訳をした。
「これはお宅の鶏じゃありません」(不妄語戒)。
けど、奥さんは騙されずに怒ったので、男は逆ギレして彼女を犯した(不邪婬戒)。

このように、不飲酒戒の破戒は、他の4つも破ってしまう原因になったんです。
そこで、飲酒の原因を断とうというのが酒の売買を禁じる不酤酒戒というわけです。
(ですから「不飲酒戒でなく不酤酒戒ですから」というのは屁理屈に過ぎないのですが)

要するに、不飲酒戒と他の4つの戒は性質が違うんですね。



某所で梵網経の肉食戒(経文では食肉戒)と不殺生戒の関係で荒れているんですけど、これを考えれば分かるんじゃないかと。

肉食と殺生ではどちらが重いか、というよりは、殺生が肉食の原因となっているんですよ。
殺生(というか屠殺や狩猟)がなければ肉食はしないわけで(どうしても食べたきゃ自然死の死体を食べるしかない)。
不殺生戒があることで、度を越した(嗜好としての)肉食の原因はほぼ断たれるわけです。

不飲酒戒よりも不酤酒戒の方が重たい。
不肉食戒よりも不殺生戒の方が重たい。

勿論、不殺生戒には肉食以外にも色々な範囲にわたって関連しています。

http://ruriko.hanagumori.com

 

戒律について2

 投稿者:ぴちょんくん  投稿日:2009年 3月 2日(月)23時36分41秒
返信・引用
  不飲酒戒の所の「不コ(酉+古)酒戒だから・・・」とはどういう意味ですか?投稿してからずっと考えていましたがやはり分りませんでした。あと中村みょうどう尼は村瀬明道尼の
間違いです。訂正します。
 

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