投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助動画検索<OBJECT>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ teacup.コミュニティ ]

投稿募集! スレッド一覧

スレッド作成 他のスレッドを探す

[PR] 派遣バイト ハワイ旅行 神奈川の求人・転職 seo 物流コスト
teacup. ] [ 無料掲示板 ] [ プレミアム掲示板 ] [ teacup.コミュニティ ] [ ブログ ] [ チャット ]

全150件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 

11月15日、アップしました

 投稿者:事務局長  投稿日:2009年11月15日(日)00時39分36秒
   次回の更新は、11月22日前後を予定しております。

 またのご訪問、お待ちしております。
 

(797)青森市にまつわる歌のエピソード その2

 投稿者:事務局長  投稿日:2009年11月15日(日)00時35分18秒
編集済
  (4) 佞武多音頭

 作詩 成田寛
 作曲 上原げんと

 戦後、青森市民の沈んだ心を癒すために、この歌は青森市が詩を一般募集し、当選詩に上原げんとが作曲したもの。
 かつて国鉄に勤務し、アマチュアのテノール歌手として活躍した青森市花園町にお住まいの中掘貞勝さん所有の楽譜からとったもの。
 昭和24年頃と楽譜には書いてある。さらに、中掘さんのコメントには、作詩・北野明(こぬまかんし)、作曲・桜田誠一、歌・佐々木新一の「ねぶた音頭」よりも、こちらの方が好きだと書いてあった。




(5) 青森娘

 作詩 サトウ・ハチロー
 作曲 上原げんと

 たしか、神戸一郎がうたった歌として記憶している。県人コンビの作品。
 上原げんとは、本名は上原治左衛門。上原弦人と名乗っていた時代もあった。「上海の花売娘」や「東京の花売娘」など花売娘シリーズが大ヒット。さらに、キングレコードで岡晴夫とコンビを組み、数々のヒット曲を出す。
 上原家はこぞって音楽家のようで、上原賢六は、石原裕次郎の「俺は待ってるぜ」「赤いハンカチ」「錆びたナイフ」で脚光を浴びた。




(6) 八甲田除雪隊の歌

 作詩 竹内 博
 作曲 鶴谷ミツ

 昭和40年代の歌である。
 作詩の竹内博は昭和41年に八甲田除雪隊の一員として活躍した人であり、自ら体験した喜び、苦しみを東奥日報紙上に発表したところ、反響著しく各地から作曲が寄せられた。その中から鶴谷ミツの曲が愛唱されている。
 八甲田山に向かう途中、岩木山展望所があるが、そこに除雪に使ったブルドーザーと、この歌の句碑がある。ブルに仕掛けがあるらしく、人影に反応して歌い出す仕組みになっているようだ。「春季除雪概要」より。




 (つづく)
 

(796)青森市にまつわる歌のエピソード その1

 投稿者:事務局長  投稿日:2009年11月 8日(日)00時43分45秒
編集済
   青森県内の各市町村にまつわる歌があるはずですが、多くが埋もれてしまっています。そんな地域の歌を掘り起こそうと奮闘されておられるのが、藤川ツトムさんです。

 藤川さんは青森市にまつわる歌を根気強く調べておられます。

 その一覧は当協会ホームページの「資料倉庫」に「青森市にまつわる歌」として全リストを掲載しております。現時点で102曲。まだまだ増えそうです。

 これら青森市にまつわる歌について、藤川ツトムさんが解説しておられます。これからシリーズでその楽曲解説をご紹介してまいります。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)青森市民歌(戦前)

 作詩 岩田芳麿
 作曲 古関裕而

 作詩、作曲とも中央で活躍している人たちの作である。
 昭和9年コロムビアからレコードが出ている。歌は中野忠晴とコロムビア混声合唱団。当時の「青森市民読本」に掲載されており、しかも、本読本は尋常5年・6年は、毎週1時間、本読本を勉強するように義務が課せられていた。
 「青森市の歴史」に掲載の楽譜と、義之栄光さん(元中学校教諭)より資料が寄せられた。大正生まれの人でこの歌を懐かしむ人が多い。




(2) 青森甚句

 作詩 相馬重一
 作曲 田村しげる

 東奥音頭のB面として、ニットーレコードから流行民謡として発売された。歌手はマイ・フレンドという芸名だからちょっと分からない。
 作詩の相馬重一は東奥日報の記者。
 作曲の田村しげるは戦前戦後において活躍した作曲家で「白い花の咲くころ」「たそがれの夢」等、美しいメロディの歌が多い。
 戦前の歌である。三浦竹七さん所蔵のレコードから採譜。




(3) 東奥音頭

 作詩 小沼幹止
 作曲 服部良一

 昭和初期の歌と思われる。ニットーレコードから発売されている。
 この歌は「青森甚句」とともに発売されたが、同レコードのA面。流行民謡というランクづけがされている。当時、うぐいす芸者として売れっ子の浅草美ち奴が歌っている。
 レコードが見つかる前、青森市久須志の佐藤ユキエさんが口ずさんでくれたが、後に三浦竹七さん所蔵のレコードから採譜。



 (つづく)
 

(795)県庁ねぶた囃子方初代隊長語る その12

 投稿者:事務局長  投稿日:2009年11月 1日(日)20時22分3秒
編集済
   本日で、青森県庁ねぶたの初代囃子方隊長の小川栄吉氏のインタビュー記事を終わります。このインタビューのきっかけは、青森県庁のねぶた関連の資料が10年単位で破棄されていることを知ったからです。10年間は保存されているが、その保存期間を過ぎると、もろもろの情報が捨てられていくわけなのです。

 これは、青森県庁にかぎらず、多くの伝統芸能に関連した団体がかかえる問題でもあるようです。資料は捨てられずに残されていても、その内容を詳細に知る人(古老・保存会会長など)が引継ぎ不十分のままお亡くなりになるケースも少なくなくありません。また、資料が古老の頭の中の記憶としてだけ存在している場合はもっと深刻です。その方がお亡くなりになったら、その時点で記録は失われてしまうからなのです。つまり、一定期間は保存されているが、その後は、資料が破棄されるという青森県庁と同じ状態に県内の多くの団体が置かれているというわけなのです。
 青森県の様々な古くからの文化が消えかかっているといっても過言ではありません。
 これではいけない、というわけで、当協会の設立趣旨にあるように、なんとか、こうした古い情報を、証言できる方がおられるうちに、「形」に残しておきたいという思いからインタビューがおこなわれました。このインタビューからまもなくして、小川氏はお亡くなりになりました。


 以下は、その小川氏の最後の声です。

・・・・・・・・・・・・・

 【後進へのメッセージ】


 こういった昔の話は、これまで特に文章に残したこともなかったので、覚えた人が退職していなくなってしまうと、忘れられ、わからなくなっていくものです。

 初期の頃から、県庁ネブタに一緒にかかわってきた2代目囃子方隊長の澤谷長寿氏、さらに囃子方で苦労を共にしてきた山田芳光氏らも引退してしまいました。

 こうして、話を聞いてくれ、後世に記録を残しておいてくれるということは、私だけではなく、当時かかわった他の仲間にとってもありがたいことです。

 昔の苦労があって現在があるわけですから、今の囃子方の人たちにも、こういった昔の苦労話を知ってもらい、さらにこれから、囃子を盛り立てていってもらいたいと願っています。

 私たちが、子どもたちのころから教えていた連中も、今や30代の中堅です。そういった人たちの手によって、県庁ネブタが、また次の世代に受け継がれ、私たちの蒔いた種が大きく育っていく・・・・。

 そのことを大いに期待しています。


 (終)
 

(794)県庁ねぶた囃子方初代隊長語る その11

 投稿者:事務局長  投稿日:2009年10月25日(日)00時00分30秒
編集済
   【思い出に残ること】


 実は、北村知事(昭和54.2.26〜平成7.2.25)も、ネブタが好きで、必ず太鼓を叩かせてくれとやって来たものです。そのときは、知事も囃子方の一員となって叩いてもらいました。北村知事もネブタの囃子に魅了された一人だったんでしょうね。太鼓は、一回でも叩くと病みつきになりますから。

 この北村知事のとき、思いもかけず、中国でネブタを披露することになったんです。中国に、ネブタ師をつれていって向こうで製作し、囃子方は、なぜか私たちが行くことになって、向こうで少し練習して北京で披露しました。

 向こうの人は、ネブタ、そしてネブタの囃子に、みんなびっくりしてしまって、すごい反響でした。囃子に乗って、向こうの子どもたちも輪に入ってハネてくれてね。

 長いネブタの囃子方の人生で、この中国でのネブタ披露が一番印象に残っています。ビデオが残っているので、今もときどき見て、当時のことを懐かしく思い出していますよ。

 今では中国だけではなく、アメリカやヨーロッパなど、いろいろ海外にも行っているようですね。もう世界のネブタです。

 でもやっぱり世界の人を感動させるというのも、あの囃子があってこそでしょう。その囃子方隊長として、ネブタに長いことかかわることができ、本当に幸せだったと思っています。

 現在は囃子方も組織化していますが、ここまでの骨格を作るのが大変だったんです。もう今は組織の流れに乗っていけばいいので、だいぶラクになったのではないでしょうか。

 昔は、今のようにネブタの参加に対しての理解が少なかったということもあり、担当部署を回ってお願いに行ったり、そこで議論することもよくありました。

 また、好きでどうしても叩きたい、だけど、その人が入るとバチがそろわない。そんな人には「なんとかあきらめてけろ」と断ったこともたくさんありました。本人は祭りが好きで出たいと思っているんですからね。気分を害さないよう、うまく説得というんでしょうか断るんです。今は、技術が向上し、ある程度の水準が基準としてあるので、いきなり素人がやってきて、囃子方の調子を狂わすということも少なくなっているようですが、昔は、そんなこともよくありました。


 (つづく)
 

(793)県庁ねぶた囃子方初代隊長語る その10

 投稿者:事務局長  投稿日:2009年10月18日(日)00時21分20秒
編集済
   【ネブタの魔力】


 今はどうか知りませんが、昔は、ビールや水割りを飲んで叩いたりしていました。しかし、すぐ酔いも冷めてしまいます。運動しているからでしょうか。少しぐらい飲んでも効きませんね。終われば終わったでまた一杯やるでしょう。
 こうしてネブタで、一年のエネルギーの大半を使い尽くすという感じでした。

 そのネブタですが、やっぱり気合が入るのが初日です。全部終わると県庁の場合は八甲荘で打ち上げとなりました。苦労して、ぐったり疲れて、終わるわけなのですが、終わると、やっぱり、いろいろと大変なことがあっても、おのずから来年も、という気持ちになってきます。
 囃子方というのは、そういう人の集まりなんですよ。囃子方は、いったんその世界に入ってしまうと病みつきになってやめられないですね。

 そういった魔力がネブタの囃子にはあるんですよ。


 (つづく)
 

(792)県庁ねぶた囃子方初代隊長語る その9

 投稿者:事務局長  投稿日:2009年10月10日(土)23時57分34秒
編集済
   【裏話のようなもの】


 各団体の囃子の隊長同士は連絡をとりあって、今年はどうしましょうかという協議を何回かやります。今も会議を持っていると思いますが、囃子方を今年はどんな順序でやっていこうかとか、いろいろと話し合うんです。そうすると各団体の情報も入ってきます。
 やっぱり、県庁同様、手びらがねとかの小さい道具や衣装は自費なんですね。みんな好きなので、自分で道具をそろえて、ネブタに参加してくるんです。

 県庁の場合、一晩いくらとお金が出ます。私が隊長をやっていたときは、だいたい3000円とか5000円とか、もらう人は期間中で2万円ぐらいもらっている人もいました。
 今も同じでしょうけど、ボランティアでやっているわけではないんです。

 しかし、そういったお金も、ほとんどネブタに関係する道具や衣装代などで消えてしまいます。


 (つづく)
 

(791)県庁ねぶた囃子方初代隊長語る その8

 投稿者:事務局長  投稿日:2009年10月 4日(日)00時12分56秒
編集済
   【女性囃子方の活躍】


 こうして、囃子方隊長として、20年以上いろいろと囃子方を時代の流れとともに見てきましたが、一番の変化は女性の参加です。
 今は、手びらがねや笛はもちろん、太鼓も、女性が叩いています。
 男性よりうまい人も多いですよ。もしかしたら、相対的に女性の囃子方の方が多いかもしれませんよ。

 確かに昔も、ねぶた時になると、囃子が好きで、集まってくる女性もいました。が、そんな女性には、よく冗談で、あんまりこんなことばっかりやっていたら嫁にいけないよと言ったものです。つまり、囃子方は女性のやるものではないよ、という雰囲気が昔はあったのですが、今はそんな雰囲気が完全になくなっています。みんな女性は、きれいな衣装で華やかにばっちり決めてやるでしょう。しかも目立ちますから、かえって囃子方に参加した方が嫁に行けるという感じなのですよ。今はもう、囃子方に女性が参加することになんの偏見もない時代です。大変よいことではないでしょうか。


 (つづく)
 

(790)県庁ねぶた囃子方初代隊長語る その7

 投稿者:事務局長  投稿日:2009年 9月27日(日)11時47分54秒
編集済
   【囃子方の隊長とは】


 囃子方の隊長の仕事についてお話ししますと、これは囃子という音楽部門に限定したものではなく、祭りの前後で発生するいろいろな人間関係の問題処理、また、練習などの段取り作り、また、祭り当日も安全に運行しているか全体に目配りするなど、本当に大変なものなのです。その割には「縁の下の力持ち」で目立つことなく、あまり報われるものでもありません。ネブタが本当に好きでないと務まらない仕事です。

 囃子方の隊長として忘れられない事件もあります。

 昔はハネトの数もそれほど多くなく、俗にいう「カラス」もいませんでした。わりと、みんなちゃんと衣装を着ていました。
 最近そのカラスが増えて問題になっていますが、いつだったか、カラスハネトが、県庁ネブタ内に乱入しようとしてきたことがありました。囃子方のところから入ってこようとしたらしいんですが、それを、うちの囃子方の一人が阻止しようとしたんです。
 しかし、その人がカラスの集団に殴られ意識をなくしてしまい、県病にかつぎこまれて、二ヶ月ぐらい入院したということがありました。
 あの人込みの中ですからね。いつのまに、カラスが入ってきたのか全然気がつきませんでした。私が気がついたときには、すでにやられて道路に転んでしまっていて、意識のない重態でした。カラスハネトの集団の中に引っぱられ、やられてしまったんです。一人に何人もかかって若いものが暴行したらしいんです。これじゃあ、たまったものではありませんよ。
 幸いにして、その方は元気になっておられますが、そのときは、いやいや、どうなることかと本当に心配しました。カラスについては、現在でも警察官でも暴行を受け、怪我をするくらいですからね。我々が何人でガードしても難しいでしょうね。

 囃子方の隊長というものは、囃子だけではなく、こういった不測の事態が起こらないように気を配っていなければならないんです。祭りは、予期せぬことがいろいろはじまりますから。

 囃子方の隊長は、このように、全体の管理人のような役割も受け持っています。音楽だけじゃないんですよ。

 こうして祭りの期間中は全部参加します。ですから、ねぶた期間中は、まったく家にいなかったものです。女房からは、いつもネブタの亡者といわれていましたよ。


 (つづく)
 

(789)県庁ねぶた囃子方初代隊長語る その6

 投稿者:事務局長  投稿日:2009年 9月20日(日)00時00分59秒
編集済
   【技術の蓄積】


 苦労の連続でしたが、昭和43年に1回、県の財政難で休んだ以外は現在まで、連続出場です。やっぱりネブタはお金がかかるんですよ。ネブタを出すとなると、ちょっとした家が一軒建つぐらいかかりますから。

 そのネブタ製作者と囃子方との交流は、ありそうなのですが、意外とないものです。作り手と囃子方とは、同じネブタでも、やはり別ものという印象です。県庁ネブタが出るずっと以前は、本当の手作りという感じだったので、まだ交流はあったようなのですが、今は、ネブタ職人がいて、より専門的になってきていますでしょ。こういった環境も影響していると思いますよ。
 昔はねぶたも小さかったんですね。今や競争でだんだん大型化してますでしょ。当時は、どこの団体も組織化しているところは少なく、県庁同様、囃子方も寄せ集めで、祭り自体も、バラバラといった印象でした。

 以前は、かつぎネブタで、ロウソクで灯をともし、それを海に流したものだそうですが、観光化が進み、花火を上げたり、海上運航も今はたいへんなにぎわいですね。やっぱり、他の団体を見て「負けられない」という競争意識があって、それが規模を大きく、祭りを派手にさせているんでしょう。今は太鼓だって、7つも8つも叩くでしょう。青森に新幹線が入ってくれば、これからもっと派手に大掛かりになっていくのかもしれませんね。

 さて、こうして参加を続けながら、努力し、囃子方の質も昔とは比べものにならないくらい上がってきました。囃子のできる人もいない、道具もないという、全部借り物の状態からスタートした当時のことが嘘のようです。

 教える人は、囃子方に一人、上手な人がいればいいんです。みんなその人の真似をすればいいんですから。私なんかも太鼓は初心者で始めたのですが、20年以上もやっていればそこそこうまくなってきます。そうした技術を若い世代に伝えてきて、その技術の積み重ねが、現在の水準に到達させたのだと思います。なにごとも「継続は力」。こうして県庁ネブタの伝統が消えることなく継承されているということを誇らしく思っています。自分たちの蒔いた種が、大樹に成長しているのを見るような感慨があるのですよ。

 初期のころとは違って、県庁囃子方も充実してきて人数は充分足りているのですが、門戸を閉ざすというのではなく、私が隊長のときは、県職員ではない飛び入りを毎年何人か受け入れていました。今はどうなっているかわかりませんが、希望者がいれば、浴衣や半天などの衣装をわたし参加してもらい、楽しんでもらっていました。


 初代隊長として最初期から20年以上やってきたのですが、県庁退職ということで、次の者に隊長職をわたしました。後を頼んだ2代目隊長の澤谷長寿氏も引退となり、現在(インタビューのおこなわれた2004年時点)は若手にバトンタッチされています。よって県庁ネブタ囃子方の隊長は、現在は3代目ということになります。


 (つづく)
 

以上は、新着順1番目から10番目までの記事です。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 
/15 


[PR] ハイブリッド 収益物件 アンチエイジング