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北国街道海野宿

 投稿者:とんちの写真館@諏訪  投稿日:2009年 6月21日(日)09時36分9秒
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  お早う御座います。
今朝の諏訪地方は雨降りですが、其方は如何でしょうか?

寛永12年(1635)のこの日、江戸城の大広間で改訂された「武家諸法度」が改訂され、この改訂により諸大名の参勤交代が制度化され、また五〇〇石以上の大船の建造が禁じられ、実質的に鎖国が完成した。この制度制定から20年ぶりの改定で、此により諸大名たちは一段と強く徳川家に支配される事となった。

さてそこでこの「武家諸法度」改定の10年前の寛永2年(1625)に中仙道の追分けから高田を経て直江津までの(35里)140kmの北国街道の宿町として延長650mの海野宿が造られた、しかしすぐ1.6km小諸よりに田中宿がありどうして海野宿が造られたのかは不明、しかし享和年間には旅籠23軒、伝馬屋敷59軒(定めで伝馬屋敷1軒当たり馬5匹)実に295匹の規模で宿場は賑わい、10年後の参勤交代では、加賀百万石の前田侯の宿ともなり、それに加え、北陸方面の諸大名、佐渡の金銀荷物、越後の臘(ろう)荷物などの経路となり。佐渡には金山があり江戸幕府の大切な財源であったから、江戸との間の交通はすこぶるひんぱんであった。このようにいろいろな往来は、絶えずこの街道に影響を与え、宿場ではそれだけの責任も負わなければならなかったし、このためにいろいろな施設もほどこされれ、多くの公金がこの宿場にはつぎ込まれ、重要な宿場だったことが伺われる。現在はこの宿場は「重要伝統的建造物群保存地区」「日本の道百選選定地区」となり、道両側に立ち並ぶ格子戸の家並みは宿場時代の風情と、明治に入り養蚕業が盛んになりその建物と調和し、時代を超えての保存となっています。この風情をUPしてみました、お時間取れました折りには覗いてみて下さい。今朝のお届けはその中からのお届けになります。ご笑見下さい。

http://www.lcv.ne.jp/~seki0309/

 
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